コロンブスの卵
20161117
「コロンブスの卵」って言葉がある。
「誰にでもできることでも、最初にやるのは難しいことだ」とか何とかいう意味だ。
こんなこと、キオスクが駅の中にあるぐらい有名じゃん、ぐらいに思ってる人が圧倒的大多数のはず。でもこの言葉、中途半端な日本語力を使うとちょっと違った解釈が生まれたりするのだ。
間もなく成人になろうとするウチの息子がまだ中学生だったとき、彼と僕がした会話にこういうのがあった。
「『コロンブスの卵』って『誰にでもできることでも最初にやるのは難しい』って意味やったんやなあ」
「そうやで」
「僕な、それ小学校のとき知らんかったんや。『医者の卵』とか『野球選手の卵』みたいに、『冒険者の見習い』のことやと思てた」
「おお!」
いやー、これを聞いた瞬間、僕の目から卵が、いや、鱗が落ちました。卵が落ちたらそれはそれで目玉やん。焼けてしもてるやん。何のこっちゃ。
たしかになー、「卵」には「見習い」とか「未熟な人」という意味がある。そして「コロンブス」は紛れもない「冒険者」だわさ。
で、なにか、その「卵=見習い」と「コロンブス」は知ってて、「コロンブスの卵」という言葉は知らんてか。どんだけ中途半端やねん。
でもまあこの「コロンブスの卵」。「冒険者の見習い」って考えると、帆船の舳先に片足を乗せている凛々しい少年や少女の姿をつい思い浮かべてしまう、カッコいい言葉のように思えるんだけど、どうでしょう。
これからクイズの道を志してみようかなという若い諸君や、ここ最近クイズをやり始めた子らはまさに「知識の勝負」という大海を航行する「コロンブスの卵」じゃんねー。カッコいいぞー。がんばれー。
何気ない生活の一コマだったけど、僕としてはこの彼との会話はすごく勉強になったのだった。
日ごろから「当たり前を当たり前と思わない」ってことを意識して生きていたつもりが、この言葉に対するこの解釈の可能性にはまったくたどり着けてなかったんだよね。
まだまだ精進が足りないってことでしょう。知識の世界は奥が深いっす。
しかし今から思えばもったいなかった側面もあったなー。
ウチの息子がそんな解釈をする子供だったんなら、小学生だったころの彼に「アリストテレスの提灯」とか「エラトステネスのふるい」とかの言葉を与えて反応で楽しんでもよかったかな。
「アリストテレスもエラトステネスも大昔の人の名前やで」、ぐらいまでは教えて、「この言葉の意味ってなんやと思う?」みたいな。
それでもし、
「アリストテレスの提灯はいつも最新型でカッコいいねん、でもな、エラトステネスのは遅れてんねん」
とか答えられた日にゃどうしたらいいんでしょ。笑いをこらえるのに必死だったでしょうね。
「そうか、エラトステネスのは古いかー」
ぐらいの相槌を打って、「その解釈で大丈夫やで」とか言ったりして。
さらに、「シュレーディンガーの猫いう尻尾の形がヘンなネコがいてな」とかも付け加えたりして。
そして最後に、「息子よ、本当の意味を知るとき、それが成長した証しであるぞよ。」みたいなこと心の中で思ったりして。
と、もう少し子供で遊べたなー。と後悔する父なのでした。
でも後悔するより、航海させないと。冒険者だけに。
ではまた来週の木曜日。