デビュー戦

180419

たまにはウルトラクイズ以外のクイズ番組出場の話を書いてみよう。
僕のデビュー戦の話である。
ひょっとしたら「クイズ番組初出場に際する心構え」のサンプルになるかも知れない。
ごめん、ウソついてました。多分なりません(笑)

時は1980年12月。僕が本格的にクイズを始めて1年半ぐらい経った頃だった。身分は中学3年生。完全無欠の受験生である(笑)
しかしこのタイミングでそれまで以上にクイズにのめり込む事件が僕の周りで起こった。
ある一冊のクイズ本が発売されたのだ。『第2回ウルトラクイズ』チャンピオン、北川宣浩さんが書いた『TVクイズ大研究』である。
これを本屋で見つけた時はひっくり返った。受験をする高校の過去問を買いに行った時のことだと思うんだけど、もうその本を手にした瞬間に受験なんてものは頭から消え去り(笑)、僕はこの本にのめり込んでしまった。

まさかこのちょうど10年後の1990年に今度は僕が全国の中学生に同じ感覚を味わわせてしまうことになるとは、当然この時は微塵も考えていない(笑)

この本の手ほどきのまま、僕は毎日、クイズをこなして行った。
そんなクイズの勉強に拍車がかかったころ(=受験が頭からなくなったころ)、スコアをつけながら見ていた『アップダウンクイズ』の番組内で「新高校生特集」の出場者募集のテロップが出たのである。

『大研究』を買ってからわずか1ヶ月。まさかこんなに早くチャンスが訪れるとは!
「ウルトラに勝つならとりあえずテレビ慣れしとかんとなあ。」
そんな理由で僕は『アップダウンクイズ・新高校生特集』へ応募した。
当然のことながら僕はこの日からさらにクイズを勉強するようになったのである。(くどいようだが受験生)

程なくして予選の通知ハガキが来た。場所は大阪市。地下鉄四つ橋線に乗るのは初めてだ。それどころか実は1人で大阪に行くこと自体がそもそも初めてだった。会場隣にあった「靱公園」なんて読むことすらできない。
それでも不安な気持ちは全くなかった。クイズができる、それだけで十分嬉しかったのである。

予選は「関西地区」という括りで行なわれた。ビルの7階だか8階だかの会議室に着いたらすでに20人ほどの受験生(いろんな意味で)がいた。
試験会場では、周りのみんなが全員賢そうに見える、なんて話がよくあるけど、僕は全くそんなことは考えなかった。
クイズの予選は初めての経験だったが、相手は所詮中学生である。(お前もな(笑))
天地がひっくり返るなんてことがない限りはクイズの知識量で負けるとは絶対にないと思っていた。だって毎日数百問の問題を解いているんだから。
なので実は予選通知ハガキが来た直後、僕は本屋でハワイのガイドブックを買っているぐらいなのである。
とにかくそれほどまでにクイズには自信があった。

後年、対戦相手のレベルが上がるにつれて僕もいろいろと策を練るようになったが、そのなかの1つに「メンタルを整える」というのを考えついた。
そのメニューの1つに「勝つことを当たり前と考える」というのがある。そう思えなければ何度も何度も自分に言い聞かせて、気持ちが「当たり前」になるまで自分を追い込むのである。
後から考えればそんな「メンタルの整え」がこのデビュー戦では天然でできていたわけである。そら負けんて。

予選は全部で30問だった。
で、その予選問題であるが、今回は何とここでそれを公開してみようと思う。
ただし、メモを取ってはいけなかったので、帰宅してから思い出したものとなっている。そして当然、出題順はバラバラである。
30問の核は揃っているがそれぞれの問題文のディテールは完全ではない。
15歳の僕が対峙した問題。あなたは何問解けるかな?

●「アップダウンクイズ・新高校生特集」予選問題(1981.03)

1.大関、千代の富士が所属するのは何部屋?
2.このほど引退した大相撲の横綱は?
3.アラビア半島とアフリカ大陸に囲まれた海は?
4.歌手、近藤真彦の愛称は?
5.50音のなかで半濁音がつけられるのはいくつ?
6.漫画『サザエさん』で、サザエさん一家の人数は何人?
7.アイドル、河合奈保子は大阪府出身ですが、松田聖子は何県出身?
8.『セロ弾きのゴーシュ』を書いた童話作家は?
9.先日、防衛に失敗した具志堅用高を破った相手選手は?
10.1981年のプロ野球の開幕日は何月何日?
11.日本で一番深い湖は?
12.有線電話を発明したのはベルですが、無線電話を発明したのは誰?
13.普通の成人と赤ちゃんでは1分間の脈拍はどっちが多い?
14.猿とカニは種がもとでケンカになりましたが、牛若丸と弁慶は何がもとで争った?
15.新幹線の運転手の椅子は、右、左、真ん中のどこにある?
16.芥川龍之介が師匠として慕っていた文学者は?
17.北海道と本州を結んでいるのは青函連絡船ですが、本州と四国を結んでいるのは何連絡船?
18.ノミ、ダニ、サソリのうち昆虫はどれ?
19.日本で初めて考古学的発掘調査がなされた、東京の縄文後期の貝塚は?
20.高野山を開いたのは空海ですが、比叡山を開いたのは誰?
21.国連教育科学文化機関といえば、一般に何と呼ばれる?
22.『源氏物語』を書いたのは誰?
23.日本では新しい学年は4月に始まりますが、アメリカでは何月に始まる?
24.二定点からの距離の和が一定である図形は?
25.チョコレートの原料となるのは何?
26.ヒット曲『つっぱりhigh school Rock’n Roll』を歌っているグループは?
27.アメリカ、ハワイ州の州都は?
28.親子揃ってワルツの大作曲家である、オーストリアの作曲家は?
29.春分の日を中心に1週間あるのは何?
30.漫画『じゃりン子チエ』の作者は?

●正解
1.九重部屋
2.輪島
3.紅海
4.マッチ
5.5文字
6.7人
7.福岡県
8.宮沢賢治
9.ペドロ・フローレス
10.4月4日
11.田沢湖
12.グリエルモ・マルコーニ(これはレジナルド・フェッセンデンが正解だと思うのだが。問題のディテールが不明なのでよくわからない)
13.赤ちゃん
14.刀
15.左
16.夏目漱石
17.宇高連絡船
18.ノミ
19.大森貝塚
20.最澄
21.ユネスコ
22.紫式部
23.9月
24.楕円
25.カカオ
26.横浜銀蝿(正しくはTCR横浜銀蝿RS)
27.ホノルル
28.ヨハン・シュトラウス
29.彼岸
30.はるき悦巳

この問題で僕は27問の正解を出した。
結果は当然1位。しかも頭1つ抜けての1位だった。
予選会場の隣の小部屋に僕は呼ばれたのだが、この時もう1人、成績が全体で第2位、かつ女性で1位の子も、その部屋に呼ばれた。
その彼女こそ後に『アタック25』の年間戦をパーフェクトで優勝する青木紀美江だった。

収録は3月の終わりと伝えられた。
僕はこの予選の時はまだ高校が確定していなかったのだけど、3月の収録の時には決まっている。
果たして僕は予想通り第一希望の私立に落ち(笑)、京都府立嵯峨野高校に入学が決まった。
そんな高校決定のやり取りなどもあって、収録前にスタッフの方と電話で話す機会があった。
彼は電話口で何度も「いやー、いい点取ってるねー」と言ってくれた。
「他の地区の結果はどうなんですか?」
当然の質問である。
「長戸君の他にね、もう1人、すごい点数を取った子がいるんだよ。」
「何点ですか?」
「関東地区の子でね、28点。」
オレより上やないかい!ホンマかいな。そんな奴、いるんやー。

まだ見ぬそいつにものすごい興味が湧いたが、プレッシャーにはならなかった。なぜなら『アップダウンクイズ』が対戦型でなかったからである。

ではここで若手の人に『アップダウンクイズ』を紹介してみよう。
このクイズ番組は大阪の毎日放送が制作していた。放送枠は日曜日19時からの30分。
昭和38年(1963年)にスタートした老舗本格派クイズ番組で、当時は『アタック25』『クイズタイムショック』と並んでこの番組で優勝すると「三冠王」とも呼ばれた。(ちなみにここに『クイズグランプリ』を加えて「四冠王」、さらに『ベルトクイズQ&Q』を加えて「五冠王」と呼ばれるとも聞いたことがある。僕の知る限り「五冠王」は史上たった1人である)
クイズは6人で行なわれる早押し形式。
1問正解すると座っている席(=ゴンドラ)が1段上がる。10問正解して10段まで上がると優勝で賞金10万円と「夢の」ハワイ旅行がもらえるというものだ。
誤答に厳しいルールで、途中で間違えると何段であろうとも一番下まで落ち0に戻る。しかも2回間違えると通称「お出」という失格席に座らされることになるのである。

収録日は3月の終わりだが、放送日はその1か月後の「1981年4月19日」と決まった。(4月19日。そう、このコラムがアップされる今日こそが僕のデビュー記念日なのだ)
さあクイズの勉強である。
『大研究』には「日付問題を勉強しよう」という教えがあった。
僕は当時、珍しかった日付本、『三六五日事典』(社会思想社)を買い、4月19日の前後3日間を徹底的に暗記した。
あとは新聞のチェックと、テレビの音楽番組のチェックである。晴れて受験生ではなくなったので、このころはクイズ漬けの日々となっていた。

いよいよ収録の日である。
僕は中学の友達3人と一緒に局に行った。場所は今はもう跡形もない千里丘の毎日放送である。「ミリカスタジオ」と呼ばれていた。
ここで今日の出場者と初顔合わせ。

1枠が北海道の高橋君。2枠が関東地区の加藤実。
「こいつかー」
僕は心の中でつぶやいた。
3枠は桜蔭の才媛、真弓ちゃん。4枠が僕で5枠が紀美江ちゃんだった。
で、6枠の九州地区の佐藤君がいないのである。どうも新幹線がトラブルで止まっているとのこと。これは収録に間に合わないということで、何と僕の友人の山田が急遽出場することになった。
彼は僕とクイズもする仲だったので割と強かった。まあ山田だったら大丈夫だろう、そんな感じはした。

しばらく打ち合わせがあり、その後リハーサルが始まる。
ここで僕は本物の早押しボタンを初めて押した。
クーっ! 気持ちいいー!
司会の小池清さんの声、佐々木美絵さんの出題、正解のチャイム。全てが放送のままだ。否が応でもテンションは上がってしまう。

多分僕はニコニコしながらリハーサルを答えていたと思う。シャーロック・ホームズの作者を「アーサー・コナン・ドイル」と答えて小池さんを一瞬詰まらせ、「アーサーは普通出ないんですけどね」と言わせたのが嬉しかったな。僕のクイズの歴史のいろいろの「嬉し話」の最初がこれだった。

僕はリハーサルで5問正解した。
ライバルと思しき加藤実は5問まで行ったが最後に間違えて下に落ちて行った。
僕は最高地でリハーサルを終えたのである。
勝つのが当たり前、というメンタルはますます強いものとなった。

そして本番がスタート。
第1問。
「4月の誕生石は、地球上の天然物/」 ポーン
僕のボタンがついた。
「ダイヤモンド」
デビュー戦第1問を僕は「ポイント」で取った。
正解が出てますます落ち着いて行く。

次の問題から3問を加藤が連取し、5問目は僕が正解。ここから他の4人も正解を重ねて行った。

『アップダウンクイズ』では途中でゲストが登場する。僕らの回は今は亡き沖田浩之さん。当時ブレイクしたてのアイドル俳優兼歌手だった。
ゲストのトークがゲームの前半と後半を分ける。ここまで僕は6段。加藤は8段までゴンドラを上げていた。
沖田さんのトークが終わり後半戦がスタート。
何とここで開始2問を連取して加藤がいきなり「10問」を達成。薬玉が割られて紙吹雪が舞った。

「早えなー。」
いいなー、とは思ったが、アップダウンクイズは対戦型でないため僕には焦りは生まれなかった。こっちもとにかく正解して行けばいいのだ。

そして僕もいよいよリーチ。
「解散したピンク・レディーが出したシングルレコードA面22曲のタイトルのなかに、数字の入った曲が1曲だけあります/」
「カルメン77」
「ほらー見事、その通りー!」と小池さん。
初優勝の瞬間である。

結局この回は「10問」が僕ら2人だけで、紀美江ちゃんは×を1つ付けてしまったため最終的には5問という結果だった。合計すると10問だったのでもったいなかった。
6枠の山田は6問だった。急遽の出場でこの成績は見事である。
ちなみに彼は立命館大学に進学し、1年間ながらRUQSにも在籍していた。加藤も僕も同時期にRUQSにいたので、この回の半分が後のメンバーだったことになる。

こうして僕のデビュー戦が終わった。
当時すでに目指していた『ウルトラクイズ』のクイズはゲーム性があるものだったので、単に正解すればいいだけの『アップダウンクイズ』は僕には楽に感じられた。

でもそれは今から思えばたまたまな部分が大きかったのである。
メンタルは整っていたものの、ルールが対戦相手に焦らなくてもいいのも良かったのだ。
もし僕が加藤実をもっと意識していたら、先に10問行かれた時に焦ったはずだろう。しかし感想はただの「早えー」だけだった。

ちなみに、後で聞いた話だが、加藤はリハーサルでわざと誤答をしたらしい。
なぜなら本番でそんなことはできないんだから、「落ちる」という経験をしてみたかったんだと。
つまり、彼のメンタルも整っていたのだった。それも半端ないレベルで。

加藤はこの後、京都大学に進学し、当時あった京大クイズ研とRUQSの両方に入って活動していた。大学時代には再び『アップダウンクイズ』に出場し、当時早稲田大学の学生だった、かの西村顕治さんと直接対決。ここでも彼より先に10問を達成し優勝を果たしている。
クイズ界の「花の昭和40年度組」はタレント揃いだが、クイズの実力では加藤がナンバーワンであると僕は確信している。

そんな僕らも今日でデビュー37年となった。早えー。

ではまた