第16回ウルトラクイズのこと

170720

CSのファミリー劇場では今週も『アメリカ横断ウルトラクイズ』の再放送をしている。
現在放送されているのは『第16回』。いわゆるレギュラー回のラストを飾った大会だ。

当然ながら僕はこの回も出場は、した。
しかしながら本編ではほぼ全く画面には登場しない。なぜならば、さっさとドームの〇×で敗退したからだ(笑)

間違った問題がどんなものだったのか、どうしてその答を導き出したのか、なーんてことは情けなくて思い出す気も起きない。だからそこはカッツアイ。

それでもちょっとしたエピソードもないことはなかったりする。
今回はそんな『第16回』のドーム予選での話を書いてみよう。

さて、今回のこのコラムの主役は僕ではなく能勢一幸だ。
泣く子も黙る『第15回』の優勝者である。
どうして泣く子が黙るのか、それはさておくとして。

ところで最近、能勢と会う機会があった。
先週の一週間で2回というからたいしたペースだ(笑)
どんな理由で会ったのか、それはまた改めて書くことになると思われる。
これはぜひ楽しみにしておいてほしい。

最近よく会うといっても、それまでは何年に1回のペースで会っていたぐらいだった。
しかし能勢はいつ会っても見た目も雰囲気も昔通りなので驚く。
一体何を食べてるとあんな風に歳を取らないのか。不思議だ。

でもさすがに違っている面もあった。
やはり家庭と仕事の責任があるからだろうか、昔のようにクイズにギラギラした感じではなくなったのだ。
もちろんそれも当たり前のことなんだけどね。ずーっとギラギラしてたら怖い(笑)
それも悪いことではないんだろうけど、良いことでもないと思うんだがどうか。

『第16回』の話に先立って、僕が能勢と知り合って友人になった経緯みたいなものを書いてみようか。
改めて考えてみるとこの手の話って僕発信ではどこにも発表していないんだよな。
能勢に限らず永田さんであっても秋利であっても。
人間関係モノってトークライブ以外では伝えようがないもんね。大体、需要がないし(笑)

僕が能勢を初めて知ったのは彼がまだ一橋の学生のころ。「ホノルルクラブ」という社会人クイズサークル主催のクイズ大会でのことだった。
その当時僕は彼を一橋大クイズ研のメンバーの1人としてしか見ていなく、何年生だったのかOBだったのかすらわかっていなかった。
でも「能勢」って名前はなぜか憶えた。

そして当時の一橋のクイズ研には、何か不思議な勢いがあったことも理解した。
ただ単に賑やかなだけでなく、いいオーラが出ていたのを憶えている。
これはお世辞ではない。だから1991年の7月に日本テレビ出版が出した『絶対ニューヨークに行きたーいッ!』というムックの制作にちょっと噛んでいた僕は、大学クイズ研を紹介するコーナーに一橋大学を推薦したのだ。

「能勢」という名前だけ知っている程度の関係に過ぎなかった能勢一幸と、ちゃんと話をしたのはさっきのムックが出版されて1か月後の1991年8月だった。

やはりさっさと〇×で敗退した僕とは違って(笑)彼はその年のドーム予選を見事通過した。そんな彼と都内で話をする、というセッティングがされたのだった。
ちなみにこのセッティングをしたのは『第13回』準優勝の永田さんである。

永田さんによるとどうも能勢が僕と話をしたがっているとのこと。
まあ全然知らない人でもないし、一橋クイズ研には非常に興味もあったので、僕は(珍しく)すんなりとOKを出した。

ここのエピソードは『能勢一幸のクイズ全書Ⅰ』(情報センター出版)にもちらっと書かれているからご存じの方もおられるだろう。

何をそこで話したのか、それはまあ内緒中の内緒なんだけどね(笑)
要するに彼は僕に「ウルトラクイズの勝ち方」を聞きに来たのだった。
もちろんストレートには言ってなかったと思う。「心構え」や「裏情報」みたいなものを知りたい、とか言ったのだと思う。
でもそれはすごく正しいことなのだ。だって何事も経験者に聞くのが一番の近道だからね。

僕は彼の質問の主旨を「勝ち方」と捉えた。だから掛値なくこのときの能勢には本気でいろんなことを話した。
それは本当の本当の本当の「ウルトラクイズの勝ち方」の1つであって、僕が旅の途中で編み出したものである。
内容は言えることから、言えないことまでだ(笑)

『クイズは創造力』という本を僕は優勝後に書いたが、そこの中でも書けなかった(書きたくなかった)ことを彼には伝えたつもりだ。

とは言うものの、僕自身が体系立てた理論書を予めしたためていたわけではないから、会話の中で思い出した順に伝えていった。
だから詳しい内容は僕も記憶していなくて能勢のメモにしか中身は残っていない。

ただし自分で言うのもナンだが、内容はかなり高度なものだったと思う。
なぜならその理論は、これまで能勢を含めて3人にしか伝えていなく、そのうち2人が優勝、1人が準優勝を達成しているからだ。

2人目の優勝者となった『今世紀最後』の小川圭太(RUQSの後輩)に伝えた話は、記憶も薄れて来ていたこともあり、かなり内容も薄まっていたかも知れない。
しかしながら『第15回』の能勢と翌年の『第16回』の準優勝者の大西肇さんに話した話はかなり濃かったと思う。

もちろん僕の話はあくまでもアシスト程度のものであり、クイズに強い、という条件がなければ成立しないものでもあったので、能勢や大西さん、小川の栄誉は彼ら本人の能力や努力によるものであるから、僕の話が直接影響したわけではないことを断っておく。

でもそれがどんな話だったのか、気になるでしょ。
そうなんだよね、どんな内容だったのか気になる。
今となっては僕も知りたい側にいるんだけどね(笑)

能勢はその1か月半後、見事『第15回』を制して僕に報告してくれた。
いやー、そのときはびっくりしたのなんの。マジかー?みたいな感じで話をしたと思う。

『第11回』『第12回』の稲川さん、瀬間さんの場合は最初から勝つだろうなという予感があったのでそこまで驚かなかったし、『第14回』の佐藤光邦さんは全くの知り合いでなかったので驚くもへったくれもなかった。
だから「知り合いが優勝した」というのは『第10回』の森田敬和さんまでさかのぼるわけで、そういやあのときも驚いたなあと思い出した。

森田さんも能勢もクイズの実力的には半端ないので、優勝すること自体は不思議でも何でもないんだけど、いざ「ウルトラクイズに優勝した」と聞くと、「おー!マジかー!すげー!」となってしまうのだ。自分が優勝しているにもかかわらず(笑)

『第15回』が放送されてからの能勢は「クイズ王」として人気者になり、いろんなテレビ番組や紙媒体などに登場するようになった。

僕との関係では、僕が90年代初めに東京で立ち上げた「クイズ部」というサークルに能勢にも参加してもらい、クイズやソフトボールなどで一緒の時間を過ごした。
『永田喜彰のクイズ全書』にもある通り、ソフトボールでは打順が僕が1番、能勢が2番で、彼のタイムリーで僕がホームに戻ることがよくあった。
ちなみに僕がクイズ部を辞めた現在、能勢は代表としてサークルを支えている。

さて、そんな能勢が優勝した翌年に開催されたのが『第16回』である。
ってようやくここへ来たか(笑)

いくら何でもここから続けると長くなりすぎるので、今回はここまでにしとうございまする。

これじゃ、「『第16回』の話」ではなく、「能勢の話」じゃねえか。
とりあえず続きは次回にでも。

ではまた来週の木曜日。