第8回ウルトラクイズのこと

170518

前回のコラムがアップされた5月11日の21時、CSのファミリー劇場で『第8回アメリカ横断ウルトラクイズ』の再放送が始まった。
4週にわたっての放送である。本放送が1984年なので実に33年ぶりの再放送だ。

いやしかし、とにかくすべてが懐かしかったねー。
ウルトラクイズの各回にはそれぞれ違った思い入れがあるんだけど、とりわけ『第8回』では特別な感情が思い出される。僕や秋利ら「昭和40年度生まれ」にとっては「初参加」となる大会だったからだ。
前年の冬に『第1回高校生クイズ』があってそれにギリギリ参加でき、そこで球場でのクイズの経験をして、翌年の8月がこの『第8回』。まさに「満を持して」という感じだった。

CSなれどそこはクイズファン。このコラムを読んでいる人なら放送をご覧になったと思う。その体(てい)で話を進めるが、第1週で十二分に目立ったのは我々の仲間ではやはり秋利だろう。
いかにも80年代といったフレームのサングラスをかけ、いかにも80年代といった髪形をし、いかにも80年代という走り方で泥に飛び込んで行った。80年代の走り方がどんなものかは知らないけど。

僕が秋利の存在を知ったのは当然この放送時が最初だ。ブラウン管を通して見た印象は「だらしない走り方する奴やなー」だった。結局走り方か。
稲川先輩に紹介されて実際に会うことになるのはこの2年後だ。準決勝で叩き潰すのはさらにその3年後になる。この1984年の段階では、ベタな表現を使えば、「そんなことになるとは夢のまた夢にも思わない」である。

さて、『第8回』の後楽園予選の話。

このとき僕はチームを組んで参加していた。チームといっても高校の同級生である広島大の岡部君と1981年に出場した『アップダウンクイズ 新高校生大会』で一緒になった京大の加藤実と北大の高橋君(当然この3人も昭和40年生まれ)の4人だ。

このコラムを読んでいる中高年の皆さん(笑)はどうだったんだろ。『ウルトラ』初参加のときは興奮しなかっただろうか?
僕らは参加できることの興奮が数日前から続いていて、寝る間も惜しんで対策したりバカ話をしたりで大変だった。
当時僕は東京、下北沢のアパートで独り暮らしをしていて、メンバーはみんなそこから後楽園に出撃した。当然のように出撃時間は前日の夜。ゲート前で「徹夜」をするのがお約束だからだ(笑)

岡部や高橋はその前の夜はちゃんと寝ていたんだけど、僕と加藤はクイズ談義に花が咲きすぎて結局寝られず、ゲート前を含めて「完全2徹」で初ウルトラを迎えることになった。(アホやん)

ところでなぜゲート前で徹夜をするのか。そりゃあもう、テレビに映りたいからに決まってるのである(笑)
いや、単に「テレビ」じゃないな、『ウルトラクイズ』の放送だからこそ映りたい、という方が適切か。

ウルトラでは回が進むごとに徹夜組は多くなって行くのだけど、この『第8回』あたりではまだ少人数だった。
ゲート前での行動は、今から思えばウソでも寝たフリをすれば放送される確率が高かったのかも知れない。しかしあのときはそんなことも考えないで僕らはやはり球場前で盛り上がってバカな話をしまくっていた。

夜中になってもスタッフは現れる気配がない。いよいよ朝になろうとする頃、ようやくカメラクルーがやってきた。
スタッフは徹夜組のそれぞれにインタビューをしていた。何を聞いているんだろうって気になっていたところ、我々の番になった。

ちょっとしたやり取りがあった後、スタッフが僕に質問をしてきた。
「第1問は何だと思う?」
僕がそれに対する答を言った後だった、スタッフが何やら急に落ち着かなくなり饒舌になった。
それもそのはず。僕が言った答が
「上野の西郷さんが向いている方角じゃないスか」
だったからだ(笑)

当然のことだが事前に問題を入手していたわけではない(笑)
そう、問題を「当てた」のだ。そらスタッフも驚くわ。

実はこれにはちゃんとした背景がある。
一緒に行った加藤が事前に予想問題を作っていて、そこにあった最初の問題が
「上野の西郷さんは故郷の鹿児島の方を向いている」(正解は×)
だったのだ。
僕はそれをアレンジして言っただけなので、この場合、問題を「当てた」のは僕ではなく加藤である。

でもスタッフからしてみたらどっちでもよく、ただただ驚いたに違いない。本当は「えー!」って叫びたかったのかも知れない。
明らかに彼らの顔色が変わって落ち着かなくなったのは僕らにもわかったけど、それがなぜかは全然わからなかった。アホだから。

それに、そもそもこっちは質問に合致していない答を言っているのである。
ウルトラクイズで「第1問」といえば自由の女神関係に決まっている。もし「第1問は何だと思う?」とスタッフに聞かれたら本当なら「ニューヨークの自由の女神は~」と言い出さなければいけないのだ。そうでなければモグリである。

ではそのとき、女神の予想問題はなかったのかといえば、当然のことながら何問かはあったのだった。でもそれはあえて言わなかったのである。
このコラムの読者なら理由はわかるはず。そう、「わざと隠した」のだ。
ウルトラクイズは『第8回』で終わりではない。自由の女神の予想問題は来年以降も有効なのである。今年外れても来年ヒットするかも知れない。そんな大事な「隠し球」(笑)をたかがインタビューで誰が放出なんかするもんか。

スタッフはさらに僕らに話かけてきて、ハガキ見せて、とか名前を教えて、とかいろいろ言ってきた。
これは放送アリだなー、などとスタッフのドキドキ感をまったく感じ取れないで能天気に盛り上がっていた19歳のアホ4人だった。

そうこうしているうちに第1問目の発表になった。
さあ番組に映る最初のポイントが2つやって来る。
1つは最前列でシュプレヒコールをすること。(この方法で『第7回』では稲川さんが映っている。【1週目1分32秒】)
そしてもう1つが「電話ボックスへのダッシュ」である。

僕は件のスタッフに電話ボックスへダッシュすることを告げていた。撮ってくださいね、とも言っていた。
1問目の発表の前、僕は群衆の左の端に移動し、ダッシュする準備を始めた。電話ボックスの遥か向こうにはさっきのスタッフが陣取っている。手を挙げると手を挙げ返してくれた。
今から思うと、何でそんなに僕を特別扱いするのか、全くもっておかしな話なのだが、あのときは当然そんなことも考えずにただ準備運動をして走り出す用意をしていた。アホだから。(もうエエっちゅうねん)

そして第1問発表。
発表と同時にみんな一斉に「えー!」の声を上げる。
僕らもそうだった。でも僕らだけは「えー!」の意味が違っていた。
その瞬間にすべてのことが理解できた。でもそれを整理する間もなく足は電話ボックスに向かっていた。スタッフは当然僕を狙っている。当たり前だ。ひょっとしたら1つのエピソードを作ることができるかも知れないからだ。

いの一番にボックスに飛び込んだ僕の電話の内容はカットとなった。
そりゃそうだ。だって「当てましたー!」みたいなものだったんだから。
しかし映像をよく見たらこれはオカシイ。
電話ボックスに走るクセにガッツポーズをしているじゃないか(笑)
何でこれから正解への情報を聞こうとする奴がすでにガッツポーズをするのか。
こういうところまだまだ甘いなあと久しぶりに放送を見ていて思った次第である。

いくら19歳で若いといっても2徹はかなり体にこたえていた。しかもテンションが異常に上下するので僕も加藤も2問目の発表のころにはすでにフラフラになっていた。
それでも問題を次々とクリア。しかし意識はだんだんと朦朧となってくる。

そして第4問。
「カメレオンは目隠しをされると体の色を変えられない」

ウルトラクイズの予選に出場した人ならわかると思うが、当日の参加者のうちの圧倒的大多数が敗者になる。そしてその多くの人が、「何であんな問題で間違うかなー」と後になって悔やむ。ウルトラの予選問題はそれほど巧妙にできている。
マーガレット・ミッチェルが風邪とともに去りぬ?意外とあるかも知れないぞ、電話の時報の117で1月1日の0時に「おめでとうございます」と言うって、そういうサービスもアリだよなー、とか、なぜかあの場所では思ってしまうものなのだ。
僕もクイズ作家生活が長いけど、あれほどのクオリティの問題を作れるか、といったら今でも自信はない。

加藤はこの問題の正解は知らないと言った。だったら判断は僕か。
「じゃあ〇だー」

これにも当然背景がある。
50代以上の人ならご存じと思うが、落語家の桂ざこば師匠がまだ「桂朝丸」だった頃、『ウイークエンダー』(日本テレビ)というテレビ番組で全国的な人気を誇っていた。(泉ピン子さんがブレイクした番組としても有名)
そのころ師匠は『動物いじめ』というレコードを出されており、それを僕は持っていた。

このレコードは師匠の漫談が収録されているもので、動物をいじめると面白い、というド直球な内容。たとえば「キリンに熱い餅を食べさせてずっと熱い思いをさせる」とか「『犬は三日飼えば恩を忘れない』というから2日ごとに飼い主を代える」とか「ハンマーをサルの前に置き、自分はピコピコハンマーで自分の頭を殴ってニチャっと笑う。猿真似をするサルが自分の頭をたたき割る」みたいなものだった。(ひどいなー(笑))

この中に「カメレオンをカラーテレビの前に置く」というのがあり、目まぐるしく色が変わるのでカメレオンが目を回す、みたいなネタがあったのだ。

「〇や〇! 朝丸も言うてるー!」
って無茶苦茶なソースやん(笑)
でもね、それがウルトラなのよ。死ぬときは死ぬの(笑)

ビジョンに映った「×」を見て加藤はぶっ倒れた。
たぶんあれは熱中症もあったんじゃないかな。フラフラだったもんな。
放送でもこの問題での「〇」のエリアで人の輪ができているのがわかる。中心にいるのは倒れた加藤である。
担架で運ばれた加藤を見送り、僕は何とか自力でグラウンドを後にした。

僕らの動きをずっとチェックしていたのだろう。通路に入るやスタッフが寄ってきて僕はすぐに徳光さんのところに案内された。
「1問目、当てたんだってね」
徳光さんにこう話かけられたのは覚えているけど、僕もフラフラだったのでそこから先は覚えていない。
多少のやり取りがあって
「じゃあ残念だけど叩いてみるか」
徳光さんに促されピコピコハンマーを持とうとしたその時だった。

スタッフから手渡されようとしたハンマーをいきなり奪い取った女性がいたのだ。
その人はオンエアされた。【1週目24分07秒】あたりに登場するその人である。
放送を見てわかるかと思うが、もう完全な興奮状態で、そのときも何の脈絡もなく現れてハンマーを奪って叩き(他の人は僕がずっとインタビューを受けていたので大人しく見ていた)、何やら叫んでどこかへ行った。

僕はすっかり毒気に当てられてしまい、再び「叩いてみるか」と仰る徳光さんの言葉にも、「もういいです」と言うのが精いっぱいだった。(ここで叩いていればまだオンエアの目はあったかも知れない)

僕が予選を通るか、または負けて徳光さんを元気よく叩けばよかったんだろうけど、どっちでもなかったので放送ではすべてがカットされた。
ただ電話ボックスへのダッシュと、1問目の正解を喜んでいる姿は残してもらえたようで、それだけはよかったかな。(1問目の正解を喜ぶシーンは【1週目17分33秒】あたり。高校生クイズで使用した嵯峨野高校チームのユニフォームである金のハッピを着ているのが岡部と高橋。その右で上半身裸で喜んでいるのが僕(暑かったんだもん)。さらにその右で背中だけ見せているのが加藤)

徳光さんのインタビューの後、僕は通路で倒れてしまい意識を失ってしまった。
岡部や高橋や救急隊が僕を球場の医務室に連れて行ったのだと思う。僕はそこで人生初の点滴を受けた。

目が覚めてすぐに僕はその医務室のベッドの上で大笑いをすることになる。
隣のベッドで点滴を受けているのが他ならぬ加藤だったからだ。

というアホ満開の『第8回』の話でした。

ではまた来週の木曜日。