長戸的クイズ用語の基礎知識②
170309
クイズ用語の第2弾である。
先に確認しておくけど、「クイズ用語」とは言うものの、いずれも学術用語のように正式な手続きを経て採用されているものでもない。したがって取り上げる言葉そのものが僕の周りだけで使っているものなのかも知れない。そのときはご容赦を。
今回のクイズ用語は、「バカ押し」だ。
ところでクイズ経験がまったくない人に「バカ押し」って何だと思う?って聞いたらどんな答が返ってくるのだろうか。
「バカみたいに何度も押してしまうこと」「押して点いたのにバカみたいな間違いをしたこと」「バカの雰囲気で押すこと」「単にバカにされること」、返ってきそうな答の可能性はいろいろ考えられる。
では正解は、というと、実際にこの4つとも当たらずといえども遠からず、というヤツなのだ。
「バカ押し」と同じ意味の言葉に「無茶押し」というのがある。今でもこう呼ぶ人はいるかも知れない。つまりバカ押しは、全然ポイントでも何でもないところで押して、トンチンカンな答をしてしまって結局バカにされる、しかもそれを1ゲームの間に何回も連発する、というものだ。
「バカ押し」の場合この「連発する」がある種キーワードとなっていて、1回やっただけでも確かにこう呼ぶこともあるけど、だいたいが何度も連発してしまっている状況を指すのである。次第にギャラリーもこの人はそういう人なんだ、という目で見てしまうようになるから(笑) 結局「バカの雰囲気」をまとってしまうことになる。
こう書いたらクイズのダメダメな人がやってしまうプレーのように思えるが、この「バカ押し」が深いのは、必ずしもそうではないというところにある。
つまりどれほどのキャリアや実績がある人でもいつでもこの「バカ押し」の渦に巻き込まれてしまう可能性があるのだ。
たとえばウルトラクイズの決勝のように「正解は1ポイント、誤答はマイナス1ポイント」というスタイルで早押しクイズをした場合、案外こういう現象が起こる。
とりわけ「サシの勝負」の場合、『第13回』の決勝でもそうだったけど、力が拮抗しているはずの両者だったとしても大差がつくことがある。この原因はもちろん勝った方の正解の積み方が堅実だったというのもあるけど、実際のところは敗者側の誤答の積み方が問題だったりする。
この敗者側の頭や心の中で起きる個人的なマイナスの連鎖反応こそが「バカ押し」の正体なのだ。
急に解答者がバカになったのではない(当たり前だ(笑))、その人の頭の中にある、指を押すための「何か」がバカになっているのだ。「制御するための何か」がなくなっている、とも言えるだろう。
僕も大学1年のとき、初めて出場した『マン・オブ・ザ・イヤー』でこのマイナスのスパイラルに陥った。
準決勝の通過クイズでのこと。対戦するメンバーは僕と稲ちゃん(稲川さんね)、RUQSの先輩の鎌田弘さん、そしてあの秋利。あと1人か2人いたけど忘れた。
簡単に言えば問題が合わなかったのかも知れない。僕はとにかくこのゲームで押しては誤答、押しては誤答を繰り返した。ここで大事なことがある。「誤答をしている」ということだ。つまりボタンはことごとく点くのである。バカ押しの怖いところは「ボタンが点く」というより「ボタンが点いてしまう」というところにある。押さなきゃいいじゃん、と思われるかも知れないが、物事はそんなに単純ではない。押してしまうのだ。そして点いてしまうのだ。
だからこの現象は「2回間違えば失格」などのルールでは起きない。強制的に押せなくなるからだ。
「間違うと0になります」でも案外起きない。なぜならば得点と同時に心もリセットされてしまうからだ。
この「バカ押し」はあくまでもメンタルのズレによって起き、クイズのキャリアや実績にかかわらず誰でも起こりうる普遍の現象であると僕は解釈している。
行動経済学の理論にも同じようなものがある。利益や負債は額に比例した価値を見出さないというものだ。
100万円の価値を感じる度合いがあったときに、200万円はその2倍の価値として感じるかといえばそうではなく、1.6倍ほどになるという。マイナスも同じで200万円の負債の感覚は100万円の負債の感覚の2倍ではないのだ。
つまり、バカ押しをしているときの感覚はマイナスが増えるたびに甘くなっているということが考えられる。マイナス1ポイントからマイナス2ポイントになるときの感覚とマイナス2ポイントからマイナス3ポイントになるのは違ったものとして捉えているということだ。
これは当然プラスの局面でも言える。
クイズにおいてはプラスの方では、「手が止まってしまう」という状況になってしまいがちになる。
これを昔僕は自分のサークル「東京クイズ倶楽部」で密かに実験したことがある。あるクイズのゲームで「29点取ったら勝ち」というスタイルにしたのだ。
1問正解1ポイントではなく、たしかサイコロか何かで得点にバイアスがかかるというものだった。
やはりというか、もくろみ通りというか、戦況は見事にデッドヒートとなった。
先行した解答者はやはり26~8点あたりで手が止まってしまいどうしても29点に届かない。次第にほかの解答者も追いつき、数名が29点目前で並んでしまう、ということになった。
当然のことながら「29点」には何の意味もない。このとき、「29点こそが難しいのだ」とかわけのわからないことを前説したと思う。この点数を意識させるために。
でもこれは、どの点数を到達点にしても同じことが起きると僕は解釈している。たとえそれが5点であっても10点であっても100点であっても。「点数を意識する」ことさえセッティングできればいつでも誰にでも仕掛けることができる。
僕は大学1年のときに「バカ押し」を経験し、そして他の場面で「手が止まる」も経験したことでこの理論を整理した。行動経済学にそういった理論があることを知ったのは、それよりも数十年も後のことだったが。
そしてそれから、勝負のときは2つのものを意識するようにした。
1つはプラスの局面での「目標値の自己設定」、そしてもう1つがマイナスの局面での「メンタルのリセット」である。
いまクイズを頑張っているクイズプレーヤーにも、この2つの意識は持つことを勧める。
ただし初心者は後者の「メンタルのリセット」を、そして、ある程度以上の力を持っている人には前者の「目標値の自己設定」をより強く意識することを勧める。
ちなみにこの「目標値の自己設定」とは、MC側がたとえば「5ポイントで勝ち抜けです」と言ったときに、勝ち抜けポイントを勝手に「7ポイント」や「10ポイント」と思い込むということだ。
「考える」ではない、あくまでも「思い込む」ことが大事だ。
思い込んで、それが正しいと自分に当たり前と思わせるほどまでに染み込ませることなのだ。僕がよく言う、「『太陽は東から昇る』と同じぐらいの感覚」になれるかどうか、ということだ。
これにより途中のポイントの感覚が驚くほどに変わる。やってみればわかるが、特にリーチのかかった4ポイントから5ポイントにかけての感覚が全然違う。まさに「スっと抜ける」という感じで正解を出せることになる。
そういやこの話は公にするのは初めてか。僕の勝負理論の中のいくつかの重要なポイントの1つで誰にも言うつもりはなかったんだけど、まあいいや。
ただし、どんなものにもコツや副作用があるが、この「自己設定」にもそれぞれが存在する。
コツで最も重要なのは、「設定を何ポイントにするのか」ということだ。
これ、あまり遠すぎるとリアルに徒労感が出て来て解答するワクワク感がなくなってしまう。しかしながら近すぎると結局はもとのポイントと同じになってしまい、手が止まってしまうということがあるからだ。
ここの設定はそれぞれの状況と自分のクセから変えて行けばいいと思われる。何度も試してみて自分だけのスタイルを見つけてほしい。
そして副作用。これが意外と厄介だ。
厄介になる状況は間違いなくテレビ番組での収録時に起きる。
この自己設定、自分の中でシステム的にできるようになると「入り込み過ぎる」という状況になり、現実世界に戻るのが遅くなってしまう場合がある。すでに勝ち抜けているにもかかわらずまだ次の問題を聞こうとする、ということになってしまいがちになるのだ。
これ、サークルのクイズならいいんだけど、テレビ的にはダメだろう。僕の場合、特に『ウルトラクイズ』では困った。このクイズでは勝ち抜けたときのリアクションは絶対に必要なものだからね。
で僕は結局このときはどうしたのかというと、「設定をしない」を選んだ。
大きな理由としては実力的なところで大幅な余裕があったというのがあるが(永田さん、秋利、他のみんな、ごめん)、それでも僕の場合、システム的にすぐに設定してしまうので、むしろ「設定するな」と言い聞かせることが面倒だった。
ただ、決勝だけが心配だった。確実に勝ちたかったから。しかし永田さんが見事にマイナスの局面に落ちたことで逆に冷静になれ、「3年前の自分やな」と思えるほど余裕が生まれた。
なんかいろいろ思い返すことがあるなあ。
クイズは記憶したことを吐き出す競技と思われているけど、ちょっとかじった人ならそれは浅い評価で、「早く正しく吐き出すこと」こそが重要で、そこが決定的に難しく面白いところなんだということに気づく。
でも僕は現役時代はそれよりもさらに深く掘り下げてみたくなっていた。クイズの競技性だけではなく、それをプレーする人間としての自分自身をコントロールすることに時間やアイデアを費やした。メンタルの調整やフィジカルの強化など、あまり語られてこなかった部分をクイズに持ち込むとどうなるか、のようなことをたくさん考えて実行していた。スポーツ界でさえまだ今ほどメンタルの重要性に気づいてない時代にである。
また何か思い出したら書いてみよう。
ではまた来週の木曜日。