長戸的クイズ用語の基礎知識⑤
180614
「クイズ用語シリーズ」である。
前に書いたのはいつだっけ、と見返したら何と11ヵ月前。うへー、そんな前だったかーと驚いた。まあ「28年前日記」と「ベイスターズによる休載」が多かったのでコラム自体が少なかったのだな。(なんやねん、その2つ目の理由は)
さて今回のネタは、僕が創って、結果広まってしまった言葉についてである。
仲間内で使っているがその仲間内でしか通用しない言葉というのがままある。
クイズサークルでももちろん例外ではない。全国、どこのクイズサークルにもそういった言葉が1つや2つはあるはずだ。
僕が主宰するクイズ倶楽部にも強烈なものがある。それは「イスラエル問題」というものだ。
別に部員の誰もがパレスチナ側に立っているとかそういう話ではない(笑) 昔放送されていた『クイズダービー』で出題されていた、単純な知識問題ではない、ちょっと頭をひねらないと正解が出ないクイズ問題を指して我々はこう呼んでいるのである。
いま、説明をするときに僕はちょっと考えた。一体「イスラエル」をどう言ったらいいのか。いや、イスラエルはイスラエルやん、としか考えられなかったからだ。
たぶん倶楽部の部員全員もそう思っているに違いない。数学で言うところの定理の説明に近い。そういうことは得てして難しいのだ。
「イスラエル」の語源はまああるにはあるが、ここでわざわざ書くものでもないので割愛するが、とにかく僕らはそう呼んでいる。SODALITEでのクイズでも僕自身が他に呼び方を知らないので4月にとうとう「イスラエル」と銘打った形式をやってしまった。ひょっとしたらここに来ている彼らも次第に毒されて行くのかも知れない(笑)
仲間内で使うために作った言葉であっても、僕に変に発信力があったために広まった言葉がある。その1つが「クイズプレーヤー」だ。
これは僕が初の著書、『クイズは創造力 理論篇』を書く時に、我々クイズ屋に対して新しい表現が欲しいと思って考えついたものだった。
それまで僕らは一般には一括りに「クイズ荒らし」と呼ばれていた。
テレビのクイズ番組基準で語られているため本来はサークル内でクイズを楽しむ大学のクイズ研究会のメンバーには当たらないのであるが、他に言いようがないのでこう呼ばれていた。
同様にこのころは「クイズマニア」という言葉もメジャーだった。ある時期からこっちの方が一般的になったと思う。このころはまだ「クイズオタク」なる言葉は登場していなかったのだけど、ニュアンス的には同じようなものだった。
当時、とにかく僕はこう呼ばれるのが嫌だった。ここらへんの話はもうちょっと深いものがあるんだけど(笑) かいつまんで書くと単純に「嫌だった」となる。
そこで1990年に『創造力』を書くにあたって考えついたのが「クイズプレーヤー」というわけだ。わかりやすい英単語をくっつけただけなので正確な英語表現なのかはわからないが(笑)
前にも書いたけど、最近は「クイズアスリート」という言葉もある。この言葉、実にいい。僕はどっちかといえばそっちの方が好きだ(笑)
そういや昔、単発で終わったけどフジテレビがプロスポーツ選手とクイズプレーヤーを集めて知力と体力の融合の番組をやった。それには出場したんだけど、あれは完全にクイズアスリートだったなー。
そしてもう1つ、単なる仲間内で使っていた言葉があまりにピッタリとはまって一気に全国に広まったというのがある。それが「ベタ問題」だ。
クイズをやったことがある人ならもう誰でも知っている用語と思われる。「よく出る問題」の総称のようなものだ。
この「よく出る問題」を総称する言葉で最初に僕が耳にしたのは「基本問題」というものだった。これは18歳の時に入会した「ホノルルクラブ」という老舗クイズサークルの村田栄子会長から聞いた言葉である。
当時「ホノルル」の例会が行なわれていた原宿の会場から、帰り道の方向が一緒ということで僕は毎回村田さんの車で送ってもらっていた。原宿から代田橋までの短い時間だったが僕は助手席に座ってサシでいろいろと話をさせていただいていた。その会話の中で村田さんが仰った、「三銃士がアトス、アラミス、ポルトス、というのは基本問題だからねー」が頭に残ったのである。
これが80年代の話。まだ「ベタ問題」は登場していない。それが証拠に『クイズは創造力』は1990年に出版されているがその『理論篇』と『問題集篇』では「よく出る問題」のことを「基本問題」という表現のほかに「パターン問題」とか「手垢問題」とか書いている。
では「ベタ問題」が登場したのはいつか、それはこの2冊が出された直後なのである。
当時僕が所属していた「関西クイズ愛好会」という社会人サークルで、このころに僕は会報を編集することになった。そのとき僕が持った新連載企画に「ベタ問題への脱出」というものがあり、そこで初めて登場させたのだ。
この連載は毎月、僕がいわゆる「ベタ問題」を50問(100問だったかな?)出題するという単純なものである。表題は「基本問題」に代わる何かキャッチーな言葉を探していた僕が、高校時代の部活で使っていた言葉をヒントに創ったものだ。
この「ベタ」という意味だが、今では一般には「手垢のついた」ようだということで「ベタベタする」といったニュアンスで使われている。
先日、テレビ朝日系のテレビ番組『タモリ倶楽部』に出演した「東大王」こと伊沢拓司君も番組内でそのことに言及していた。
もちろんこれは間違いではない。少なくともクイズ問題では手垢的な意味も内包しているからだ。間違いどころか全く正しい。
しかしながら「ベタ」の本当の語源は全く違うところにある。
この「ベタ」とはもともと演芸用語なのである。
さっき僕が書いた「部活」とは、高校時代の落語研究部のことだ。
笑いを取ろうとして上手く行かないことを「すべる」だの「さむい」だのと今では一般の人も使うようになったけど、これらも元は芸人が楽屋で使う言葉であり、世間には全然広まっていなかった。
「ベタ」もその1つで、「ベタな笑い」「ベタなネタ」というように使われていた。そしてその言葉は「すべる」「さむい」と同様、落研のメンバー以外では当時は誰も言ってなかったように思う。もちろん僕らもこの「ベタ」の意味までは知らずに使っていたのだけど。
ではこの「ベタ」の意味であるが、これに関しては僕は一度だけ、今は亡き桂米朝師匠が生前にテレビで語っておられたのを見たことがある。
米朝師匠によるとこの「ベタ」とは「地べた」という言葉の略だそうだ。
「地べた」、つまり「地面」なのである。ひょっとしたら関西弁なのかも知れない。
地方などへの営業ではどんなネタでも笑ってくれるお客さんが集まっている場合があるそうな。大阪だったらもはや誰も笑わないような使い古された「くすぐり」(=ギャグ)であってもそこでは普通に高座で喋ることができたらしい。何の準備も気合いも必要なく話せるネタ、客がいようがいなかろうが喋れる、つまり地面に向かってでも話せるネタを指して「地べたネタ」すなわち「ベタ」というようになったのだということだ。
細かい部分が間違っているのかも知れないが、とにかくそういった手続きを経た言葉だというのはちゃんと仰っていた。
つまり「ベタ問題」のルーツは上方の演芸用語だったのである。
クイズ的な話に戻してみよう。ではこのベタ問題の数は何問ぐらいあるのであろうか。
これも伊沢君が『タモリ倶楽部』の中で語っていた。彼は番組中でベタ問題の総数を1万と言っていた。
しかし実は僕も数については考えていて、僕はずっと「ベタ問題はだいたい3万」と言ってきていた。
当然のことながら伊沢君にも僕にも意見に根拠がない。それは当然だ。そもそも「よく出る」みたいな、定義が曖昧なものの総数など誰にもわからないのだから。しかしながら僕ら双方が言っている数については間違ってはいないとは思う。これは肌感覚で感じていることであるからだ。そういうのは案外正しい線を突いているのである。
僕が伊沢君の「1万問」という言葉を聞いたときに面白いと感じたのは、現代クイズの問題の出題パターンが昔に比べて桁違いに多いんだろうなあ、ということだ。
3万もあった「ベタ問題」が1万にも減っているということは、ベタと呼べるほど何度も出されるものではないが、それよりも少し出題頻度が少ないが「過去には出題されたことがあるから勉強するとわかる」、というようなものが増えているんだろうなということである。
これをたとえてみると、僕らの時代は膝までの深度の場所が3平方キロほど広がっている渚で海水浴を楽しんでいたのに、最近ではそういった深さの場所は1平方キロにまで減少したが、その代わり腰までつかるぐらいの深さの水の部分が3平方キロではきかないぐらいの広さで存在している、ということである。海水浴場で例えるのもどうかと思うが(笑)
「ベタ問題は1万」を聞いたとき、なるほど現代の競技クイズの現場は少なくとも僕にとっては戦いにくい環境なのだろうなと思ったが、それと同時に、だからこそ戦えるのかとも思った。
つまりベタ問題の差が2万もあるなら、むしろこの部分は強力な武器となっているはずだからだ。
その理由が2つある。まず1つ目は躊躇に対するもの。
クイズに強くなってくると指が一時期遅くなる、というのは以前に指摘したところだけど、その理由は知識の増加による問題分岐の可能性の広がりから来る躊躇による。
その躊躇を100分の何秒、1000分の何秒でいかに適切に処理するかで早押しの結果が違ってくるのだが、ベタ問題ではある種、躊躇を最大限まで絞れるものなので、耳と指の連動的な運動部分さえ鍛えればいくらでも対処できるのだ。
もう1つは、単純な時代の変化である。
消失した2万のベタ問題のなかには、昔は「当たり前」だったという理由でベタ問題になっていたが現代ではそれそのものがなくなったり耳にしなくなったが故に問題の難度が上がったというものも少なくない。たぶんベテランの人が若手とプレーしていて毎回一度は必ず思ってしまう「へー、それ、知らないんだー」というアレである。
この手の問題は僕らにとっては至極簡単なものであっても、ひょっとしたら彼らにとっては優先順位の低さから来るからなのか何なのか、下手したら難問に属しているものさえあるのである。
この2点を突いて行くことができれば何とか戦えるのかな、と思って伊沢君の話を聞いていた。
ってちょっとは適当にテレビ番組を楽しめよ、って話なんだけどね(笑) どうしてすぐに「戦い」だの「倒す」だの「攻略する」だのを考えてしまうかなあ、と自分に対してツッコんでしまう。
なんてことを考えてしまうのであった。
ではまた来週の木曜日。