嵐の前の静けさ (1989年10月19日)
171019
今年、2017年のカレンダーが『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』が放送された1989年と同じということで、僕は先月から「28年前日記」を書いていた。
ところで今日は10月19日である。第1週目のオンエア日のちょうど1週間前にあたる。
1989年の今日、嵐のような十数年(笑)が始まる直前の最後の日常が僕にはあった。
8月の頭に南米から京都へ戻って来てはいたが、ドーム予選と入院でほとんど家にいた記憶がない。退院をした後は即、麹町の日本テレビに向かったので、またもや家にはいなかった。だから10月になって成田から京都に戻って来たとき、ようやく僕の長い長い旅が終わったのだった。
しかしながら京都へ戻って最初に行った行動は帰宅ではなかった。立命館大学へ行き、RUQSの例会に参加したのだった。もちろん3連覇の報告である。
ウルトラツアーでのいでたちのままなので背中にはオーストラリアの国旗を差した赤いバックパックをかついで行った。
永田さんは社会人なので来られてなかったのだが、恒川や山本ジュニアと再会できたのは嬉しかったなー。さすがに泣きはしなかったが、懐かしさで胸がいっぱいになった。
例会では普通にクイズが行なわれていたので僕も参加したけど、もうこの時には何か「抜けた」感があった。
例会後、ようやく帰宅し僕の「日常」が始まった。
数日後には大学1回生からバイトをしていた京都の某ホテルのフレンチレストランにもギャルソンとして復帰した。これでもランチタイムの奥様方には人気があったのだった(笑)
ただ、新しく配属されたマネージャーと折り合いが悪くなり、このレストランは何と放送日前日である10月25日で辞めることになる。
もしあのままギャルソンを続けていれば店は確実にとんでもないことになっていたと思われる。それはそれで面白かったのだろうけど。
大学は休学中だったのでバイト以外はすることがなく、会いたい人と会うぐらいで毎日の時間はゆっくり過ぎて行った。
そして10月19日。僕の穏やかな時間はあと1週間となっていた。それは何となくわかっていた。しかし想像以上の展開が待っているのはわかっていなかった。しかもそれは2017年の今も起こっていたりする(笑)
「28年前日記」はツアー当時の話を書いていたが、そういやまだ書くべきことがあと5週分残っていることに気づいた。そう、本放送である。
というわけで、次回からは本放送を見ての話や「ツボ」を書いてみたいと思う。
あとそれに付随するさまざまなことが書ければ、いいかな。
「『28年前日記』を読んで昔のことを思い出しました」という言葉をたくさん頂戴した。
実は僕もその一人だったりする。書いていくうちに結構1989年モードになっているのだ。だからあと少し、とことん行ってみようかと思うのでどうぞお付き合いのほどを。
さあ、いよいよ来週は1週目の放送。『木曜スペシャル』の予告でも『第13回』のシーンが映ったはず。ウルトラファンにはドキドキの1週間が始まるのだ。
ではまた来週の木曜日。
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ぜひこれを読んでくれているみなさんも「放送を見た側」としてのコメントを書いてみてください。当時こんな状況で見ていた、とか、ヒゲの人を見て変質者だと思ったとか(実際のファンレターでこのコメントがありました・笑)。細かいエピソードでも何でもOKです。
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