自由行動 ニューヨーク (1989年9月30日)
170930
ニューヨーク決戦の次の日、僕らは丸一日フリーだった。
本当なら永田さんはこの日の朝に1人で帰国の途につく予定だったのだが、スタッフに何とかお願いして(※1)、1日だけ滞在を延ばしてもらったのである。
僕は永田さんとニューヨークの街を巡り、そして自由の女神がいるリバティ島へ渡った。
間近で見た彼女はとにかく大きかった。すごい迫力である。
僕らは女神の中に入って登ることにした。(※2)
中は急で狭い螺旋階段が果てしなく続いている。僕は子供の頃に入った大阪万博の「太陽の塔」の中を思い出してしまった。
階段と階段の周りの壁は落書きだらけである。みんな当たり前のようにペンを持って名前やサインを書いていた。
とうとう女神の冠まで登りつめた。
外から見ていると大きな展望台のように見える冠部分だが、実はとんでもなく狭いところなのだ。後から後から人が登ってくるので、すぐに降りなければいけない程なのである。
「折角やし僕らもどこかに落書きを…」
と展望部分の周りを見回していた時だった。窓の上に何とウルトラクイズのステッカーが貼ってあるではないか!しかも『第13回』のステッカーである。
後から知ったのだが、この前日に何人かのスタッフがここにやって来て、全部で3ヶ所にステッカーを貼って行ったのだそうだ。
「あかん、先を越された。」
僕らは落書きをヤメにして再び急な階段を下り始めた。追い打ちをかけるように途中にまた『第13回』のステッカーが貼ってあった。
「ほな、この上に書いたろ。」
僕らはそのステッカーの上にサインをした。
もし今後、女神の中に入るチャンスのある人はぜひ僕らのサイン付きステッカーを探し出してください。(※3)
初めて間近で見た自由の女神。
これほどまでに美しい像がほかにあろうか。
夕方になって僕らはマンハッタンに戻って来た。
夜はスタッフ全員で打ち上げの宴会をするとのこと。トメさんは僕らを誘ってくれたが(これは嬉しかった)、やはりそこは彼らだけでいろいろなものを発散すべきだと思い、丁重にお断りをして僕らは2人で食事をすることにした。
場所はウルトラクイズのニューヨーク到達者が必ず寄るという伝説のラーメン屋「サッポロ」である。もはやこの頃になると僕らは自ら進んで日本食の店へと足が向いてしまっていた。
僕らは2人客なので当然2人用の小さなテーブルに案内された。
座ってテーブルを眺めていると、ふとオーストラリアの頃が思い出された。
あの時は20人以上の大人数で食事をしていたものだ。とても大きなテーブルで、仲間がいっぱいいて…。
妙にしんみりとなった僕は注文したカツ丼と焼きそばを、馬のように平らげた。(※4)
ホテルの部屋に戻り2人で話しているとドアをノックする音が聞こえる。
「誰なんだ?」
ドアの窓から覗き込むと男性が立っている。
ドアを開ける。
「長戸くん、映画行こうよ!」
今回のツアーでお世話になりまくった、構成の藤原さんだった。(※5)
「『バットマン』行かない?」
ロサンゼルスの「私がママよクイズ」はバットマンハウスの前で行なわれた。この年の夏に全米で新作映画が封切られ、大人気だったのだ。
上映時間が近づいていたので僕らは小走りで夜のニューヨークを進んだ。
と、その時、僕の肩が一人の黒人の肩にぶつかった。はずみで男は持っていた袋を落としてしまう。
ガシャン!
明らかにモノの割れる音がした。
「Excuse me!」
男は僕らに向かって叫んだ。
「Hey!Mister!」(※6)
執拗に後をつけてくる。
「ボトルマンだ。無視して走ろう。」
藤原さんに言われて僕らは走った。
ボトルマンとは、ワザと他人にぶつかり、すでに割れているビン(ボトル)の入っている袋を落として「ビンが割れたじゃないか」と因縁をつけてカネをせびるという、今ニューヨークで最先端の詐欺なのである。ターゲットは日本人が多いとのことだった。
僕らが走ったため、結局男はついてこられなかった。僕らはホッとして映画館に入った。
日本ではそんなにヒットしなかった『バットマン』だったが僕には割と面白く思われた。たぶん内容そのものより、ただ僕が映画を観るのが8年振りだったからかも知れない。(※7)
映画鑑賞後に藤原さんとは別れ、僕と永田さんは2人で土産を買いに行こうと街をブラついていた。
と、その時、今度は永田さんがボトルマンにやられてしまう。(※8)
「Excuse me!」
男は永田さんの肩に手を掛けた。僕はそれを振り払い2人の間に入り、重なるようにして足早で歩いた。
今度の男はさっきとは違い、かなりしつこかった。どこまでもついてくるのだ。
「こらオモロいわ。どっか横道に入ってボコボコにどついたろ」
収録が終わって僕も普通の大学生に戻っていた。(※9)
「横道はないかな…」
と探していたら、ちょうどいい具合の横道があった。
「ほらほら、ついて来いついて来い」
横道に入ると何やら人だかりができていた。ライトも煌々と光っている。
「何やっとんねん」
見ればそこにはテレビカメラとリポーター、そしてあのマイク・タイソン(※10)がいたのだ。
「あ、マイク・タイソンや!」
ミーハーな僕らは彼の後ろに近づいて行った。
ボトルマンはそれを見て、いくら何でももうダメだと思ったのか引き返して行ってしまった。
僕らはマイク・タイソンに助けられたのだった。
「オモロい土産話ができましたね。」
僕らは顔を見合わせて笑った。
次の日の朝、大多数のスタッフと、そして最後の仲間である永田さんが日本へ帰ることになった。とはいっても、永田さんがこの日にまだニューヨークにいるのは予定外なので、帰りの便は別とのことだった。
ホテルの前で永田さんと握手をした。
東京ドームの第1次予選、第1問を正解した時、僕の隣の席には永田さんがいた。あの正解の直後にした握手からずっと僕はこの手に触れてきた。
そして今、最後の握手。とうとう別れの時が来たのである。
「ほなまた日本で。」
「ああ。」
僕はこの日、トメさんや近ツリの加藤さんらとともに、永田さんに少し遅れてニューヨークを後にした。
行き先はまだ知らされてはいない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
※1 スタッフに何とかお願いして
お願いしてOKが出るとは。今考えてもすごいことだ。頑張ったご褒美だったんだろうなあと思う。
※2 僕らは女神の中に入って登ることにした
これ、今ではセキュリティーのために完全予約制になっている。女神の冠まで登るには数ヵ月前から予約をしなければいけないらしい。
※3 僕らのサイン付きステッカーを探し出してください
どうも落書きは1週間や数日という単位で消されていたようである。そりゃそうだ。毎日あの数の落書きが書かれていて、まだステッカーが3枚も貼れるスペースがあるとは到底思えない。
※4 僕は注文したカツ丼と焼きそばを、馬のように平らげた
ラーメン屋だっつーの。
※5 今回のツアーでお世話になりまくった、構成の藤原さんだった
グアムの空港でトシノリの話を僕がリークして(笑)以来、ずっと話をしに来てくれた。構成作家さんなのでネタに困らないようにと、何とか僕も毎日みんなのオモシロネタを伝えたものだった。
※6 「Hey!Mister!」
僕の立命館大学時代(RUQS以外)のニックネームが「ミスター」だったので、普通に「何?呼んだ?」と言いそうになった。
※7 僕が映画を観るのが8年振りだったからかも知れない
当時は映画嫌いとしても有名だった。大の映画好きの瀬間さんからはいつも「映画を見ろ」と言われたものだった。
※8 今度は永田さんがボトルマンにやられてしまう
何やってんねん、2人して。
※9 収録が終わって僕も普通の大学生に戻っていた
アカンやん。放送前の不祥事はご法度です。
※10 あのマイク・タイソン
当時、超がつくスーパースターだった。ボクシングの元ヘビー級チャンピオン。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
藤原さんと映画に行った話やボトルマンの話は前にコラムにも書いたが、結構忘れてることや混同してることがあったのね。
永田さんがやられる前にぼくがやられていたとは(笑) そうだったのか!
つまりあの夜は行きと帰りの両方でやられたのだな(笑)
それと一番大きな誤解は、映画に行ったのが決戦の翌日だったということ。
たしかに時間的におかしいっちゃおかしい。プリンセス号から下りたのは結構遅かったからね。あの夜は結局電話だけして2人とも疲れてたからバタンキュー(死語)で、翌日の自由行動日にいろいろ行ったんだ。そうだそうだ。
いやー、オリジナル原稿を残しておいてよかったー(笑) 今回の日記企画で僕自身、いろんなことを思い出してたり記憶を修正できてたりする。
というわけで、今度こそオークランド篇。明日、10月1日の夜に。
マンハッタンを永田さんと散歩しているときに
スタッフが会議をしているのを発見!
どうやら賞品地のことみたい。