第3チェックポイント グアム(の夜) (1989年9月3日)
170905
オーストラリア行きが決まった夜はみんなホッとした様子で、めいめいで楽しんでいた。
吉田の部屋で酒を飲んでいる者が多かったが、僕を始めとして何人かはホテルの地下にあるディスコ(※1)へ行こうと張り切っていた。
だが何ということか、ディスコは休みだったのである。
隣のホテルへ行くのも面倒だ、ということで結局は僕らも吉田の部屋へ行こうということになった。
しかしながら実はこのことが後で大きな意味を持つことになるのである。
ディスコがもし閉まってなかったら…
吉田の部屋には25人全員が集まった。深夜0時ごろまでみんなで酒を酌み交わし(未成年はオレンジジュース)、自己紹介をしたり名刺交換をしたり、ワイワイ騒いで楽しくやっていた。
時が過ぎみんなそれぞれの部屋へ帰って行く。僕も長谷と共に泥で詰まりかけたバスタブのある部屋(※2)へと戻って行った。
そういや昨夜はジジイに騙されたなあ、などと話しながら僕らは眠りに就いた。
時計の針は午前1時を回っていた。
トントントン…トントントン…
「…ん?」
何か音がする。
トントントン…トントントン…
ノックの音である。
「誰や今頃来るボケは…」
眠っているところを強引に起こされてムカついた僕は、ブツブツ言いながら覗き窓から外を見た。
「ゲっ!」
何とそこには何人かの男がおり、大きな赤いランプが灯っていた。
「テレビカメラや! 奇襲や!奇襲はあったんや!」
半ば寝ぼけていた僕は氷水を浴びせられたようになった。
恐る恐るドアを開けると、そこには満面の笑みを浮かべたトメさんが立っていた。
軍団は中へと侵攻してきた。
「オヨヨヨヨヨ…」
騒ぎに気付いてやっと起きた長谷には一体何が何だかわけがわかりようがない展開だったろう。
トメさんは僕らの部屋を物色した後(※3)、「○」「×」と書かれた枕(※4)を置いて風のように去って行った。
奇襲…。全く無防備だった。
昨夜注意し過ぎたのがかえって裏目に出たのだ。やはりジジイは単なる迷惑な存在だったのである。
しかし危ないところだった。ディスコがもし閉まってなかったらどうなっていたか。
他の者の目的は知らないが、僕がディスコへ行った目的は120%ナンパだったのである。
それも旅行に来ている日本人ではなく外人の女の子に完全にターゲットを絞っていたナンパだったのだ。
もちろん失敗していたかも知れないが、成功していたら間違いなく僕は部屋には戻って来ないつもりだった。何せスタッフから僕らに出されていた注意は「このホテルから出ないでください」というものだけだったからである。自分の部屋にいろとは一言も言われていなかったのだ。
ディスコがもし閉まってなかったら一体どうなっていただろう。スタッフからむちゃくちゃ怒られてツアーから追放だっただろうなあ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
※1 ディスコ
若い人は知ってるかな?って書こうと思ったが、だいたいこのコラムを読んでる人が知らないわけがないよなあ。あのディスコっすよ、あれあれ。
※2 泥で詰まりかけたバスタブのある部屋
そりゃそうだ。部屋にいる2人ともが泥まみれ、というのはこの部屋だけだったから。風呂を詰まらせたら怒られるので、2人とも慎重に慎重に風呂に入った。
※3 トメさんは僕らの部屋を物色した後
僕はバックパックでの南米旅行帰りだったので、部屋で洗濯をしてそのまま干す、という習慣がついていた。トメさんが物色しに来た時、部屋の中では洗濯物が万国旗のようになっていたのである。トメさんは茶色になった下着を見て「ドロンコのパンツが干してある」とコメントしたが、それを寝ぼけて聞いていた僕は、「ンコのパンツが干してある」と聞き間違えてしまう。それで「ウンコじゃないですよ。」とコメントしてしまったのだ。そこはバッチリ本放送で流れた。
※4 「○」「×」と書かれた枕
まだ持ってます。荷物になるのでカバーだけ記念にとってガラは捨てたという人が多かったけど、僕や恒川は最後まで枕そのものを持ち歩いていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
クイズの形式はサドンデス方式の○×クイズで、最下位1人が決定するまで出題される。
部屋で渡された「○×枕」を、正解と思う面を表に向けて顔の前に出すのである。
午前3時。僕らは物音ひとつしない廊下に並べられ、何の因果かクイズをするハメになった。まだみんな頭がボーッとしている中、いきなり第1問である。
「オーストラリアとオーストリアは同じ語源からついた名前である」
ラッキー。これは昨夜、永田さんと話していたことや。×や。
「答えは…」
バサっ。
み、見えない。
そう、顔に枕を当てている僕らには正解は見えない仕組みになっていた。
「はい、下ろしてください。」
山本ジュニアがひどく狼狽している中、クイズは淡々と進められた。
「オーストラリアの最大の輸出国は日本である」(※5)
「世界中で羊を最も多く飼っている国はオーストラリアである」(※6)
僕は、たしか…といった具合で2つとも「×」を上げた。
「はい、下ろしてください。以上で決定致しました。」
何とたった3問で最下位が決定してしまったのである。
クイズが終わり、
「どうぞゆっくりお休みください。」
と、トメさんは言った。
時計を見たら時間は午前3時半。
「こんなもん、誰がゆっくり寝られるかい!」
たぶん全員心の中で思いながらも、すごすごと自分たちの部屋へと引き上げて行った。
部屋へ帰ってベッドの上に横たわると急に不安になって来た。オール阪神・巨人さんの漫才のネタのように脈拍はトントントン、トントントンと、トントン拍子を打っていた。(※7)
答はともかく、僕は自分が果たしてどっちを上げたかをはっきりとは憶えていなかったのである。
もし自分が寝ぼけていて、「×」だと思って自分の方に×の面を向けていたらどうしよう、などといろいろと考えていた。
何故こんなに不安になったのか、それには理由がある。
挑戦者25人の全スコアを正しく把握するために5人のスタッフがそれぞれ1列ずつ、手分けして僕らの解答を記録していた。それはこっちからもわかった。
3問目が終わった後に敗者が決定したのだが、どうやら構成の藤原さん(※8)の担当の列の者が死んだらしく、みんな彼のメモを覗き込んでいる。そして明らかにこっちを見てニヤニヤ笑うのである。(※9)
「ヤベェ、俺か?」
それから僕はどうやって部屋まで行ったのか、それすら憶えていない。
「大丈夫。オレちゃんと長戸さんが全部×を出すのを見てましたから。」(※10)
隣のベッドから長谷に妙ななぐさめを受けた。
「今晩は多分寝られんなあ。」
と言いながら僕も長谷も思いっ切り眠った。
「羹に懲りて膾を吹く」と言うが、この奇襲はそれまでの半ばチャラチャラした雰囲気をピシッと引き締める効果があった。これ以降みんな少なくともチェックポイントの地元のことについてはさっさと勉強するようになるのである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
※5※6 「オーストラリアの最大の輸出国は日本である」「世界中で羊を最も多く飼っている国はオーストラリアである」
これ、現在ではともに1位は中国。したがって正解は「×××」となり、僕は28年経ってようやく全問正解者となった。
※7 トントン拍子を打っていた
ようこんなネタを中学生も読むような真面目なクイズ本で書いたなー。関西人しか知らんやろ、このネタは。そして情報センターの美穂さんは当然のごとくバッサリとカットした。
※8 構成の藤原さん
藤原拓也さん。トメさんのコメントの原稿などを書いたり、演出に関わったりしていたスタッフで、僕にとって『第13回』のツアーは彼なしに語れない、という人。挑戦者とスタッフが気軽に接触できないツアーにあって、最初から最後まで僕らと一緒にいた人でもある。
僕らと会話するのは、スタッフ側が把握し切れていない挑戦者の情報やネタを仕入れるというのが第一の目的だった。僕はそれをわかった上で毎日さまざまな情報を彼に上げて(これじゃ単なるスパイやんけ(笑))、番組が少しでも面白くなるように手伝った。
そして僕は僕で、藤原さんがスタッフ側からの情報を漏らさないか、口を滑らさないかというのを毎回期待していた。これ、大事なところなんだけど、こういう情報を直接聞くのは野暮なんだよなー。あくまでも「口を滑らせる」という攻防を楽しみたかったのだ。しかし結局彼はただの一度も情報を漏らさなかった。
藤原さんと初めて接触したのはこの正解発表の朝の空港ロビーだ。彼は突然僕に話しかけてきて、ここの演出についての感想を聞いてきた。そこで僕は初めて情報を提供した。僕がこのとき提供したのはトシノリの一連の出来事である。藤原さんはびっくりしていた様子だった。スタッフの筋書きではアベ姉をハメてビックリさせるつもりだったらしいが、こっちは正解の確認をするに決まってるから彼女が落ちるわけがないのでドッキリにはなってない、と説明した。とにかくカメラが狙うならトシノリだった、と言ったら、さすがウルトラのスタッフ、トシノリやジュニアを映しているカメラが1台だけあり、本放送では一瞬ながらそれが使われている。
※9 そして明らかにこっちを見てニヤニヤ笑うのである
小林さん、僕の後ろやん。やめてー、そういうの。
※10 「大丈夫。オレちゃんと長戸さんが全部×を出すのを見てましたから。」
それアカンやつや(笑)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
いつもと変わらず朝がやって来た。
みんな昨夜のクイズのことで盛り上がっていた。誰が敗者なのかわからないので、少しでも心の負担を軽くしようとみんなで問題の答を確認し合っていた。
そこで出た「正解」は次の通りだった。
第1問-「×」 ガイドブックに載っていた。ちなみにオーストラリア=「南の未知の大陸」、オーストリア=「東の国」。
第2問-「○」 多分そうだろうということで。
第3問-「×」 「ソ連」(※11)という答で昔クイズ番組に出たとのこと。そういやそうだと僕も思い出した。
「じゃ、僕だ。」
「×○×」が正解とすると「○×○」が敗者となる。
このパターンで枕を上げたのは名大の伊藤トシノリだけだった。
みんな自分ではないとわかって内心ホッとはしたが、やはり気まずい空気が辺りを包んで行く。
トシノリは無口になって行った。
どうやって慰めればいいかわからないのでみんなも静かになる。
朝食のテーブルにそれぞれついたのだが、やはりトシノリの向かいにはだれも座ろうとはしなかった。トシノリも食事が喉を通らないらしく、出された魚に手をつけずにいる。
と、そこへ寝坊した秋利が駆け込んで来た。
「いやー、まいったまいった。寝坊しちまったよ。どこかに席は…お、トシノリの前だな。よいしょっと。ようトシノリ、おはよう!」
トシノリは無言である。
「おいトシノリぃ、何静かにしてんだよぉ。オマエ魚嫌いなんか?嫌いなら俺食うぜ。」
みんなもう2人のやり取りには目を向けないようにしていた。
昼に空港へ行くということになったので各自部屋で午前中は過ごすことになった。
僕は永田さんや一人遅れて事実を知った秋利らと部屋で騒いでいた。
と、そのとき、
「何とかしてくださいよぉ。」
山本ジュニアが駆け込んで来た。
聞くところによるとジュニアはトシノリと同室だという。2人でいる部屋は暗黒空間そのものだそうだ。
いくら気まずいとはいえ、あのまま放っておくわけにはいかない。先ほどの罪滅ぼしを兼ねて、ここは名大の先輩の秋利が一肌脱いだ。彼は以後ずっとトシノリの話し相手となった。
クイズの結果は空港で発表となった。
近ツリの加藤さんが搭乗券を配ってくれるのだが敗者にはないとのこと。
「小室さん、永田さん、長戸さん…」
次々に名前を呼ばれて行く。
「…さん、伊藤さん、」
ゲッ! なんで?
みんな一斉にどよめいた。
ほな誰や敗者は…。
敗者に搭乗券がないというのは実はウソだったのだ。
搭乗券はあるのだが表面に「禁オーストラリア」のマークがあるというのだ。
みんなトシノリの周りに集まった。だけどなにも変わった様子がない。
「えーーーー? これーーーー?」(※12)
向こうの方で誰かが叫んだ。
小林さん(※13)だった。
「つまり敗者は君だー!」
トメさんが叫ぶ。
みんなキツネにつままれた感じだった。トシノリは思わずその場にしゃがみ込んでしまった。
第3問の正解は実は「○」だったのだ。確かに以前はソ連だったのだが何年か前にオーストラリアが逆転したということだった。
向こうで小林さんのインタビューをやっているにも拘らず、僕らは「トシノリおめでとう!」と喜んでいた。
小林さんは荷物と共にどこかへと運ばれて行ったが、最後までわけのわからない様子だった。
そういやこの日の朝、勤めている会社に電話を入れ、「ちょっとオーストラリアに行くことになりましたんで、まだ休みます。」と言っていた。そのことが思わずみんなの爆笑、いや涙を誘っていた。
次の目的地が発表になる。
「次はゴールドコーストだっ!」
やったー。みんなと共に僕も喜んだ。
だが実のところ僕はゴールドコーストがどこにあるのか、そしてどんなところなのか全く知らなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
※11 ソ連
現在のロシア。ってこれ読んでる人は知ってるっつーの。
※12 「えーーーー? これーーーー?」
『第13回』のツアー中には3つの流行語があった。1つは前に紹介した「怪情報」。2つ目は、何かちょっとしたミスをした人に対する「残念だなあ」。そして3つ目、ツアー中最大の流行語がこの小林さんのセリフである。何でもそうだが、モノマネはしているうちにだんだん原型を留めなくなって行く。これも最後の方ではおよそ小林さんの顔になってない「えー?、これー?」になっていた。
本放送ではコンボイのところで敗者になった及川が罰ゲームのミニコンボイを見て、「これ?」と言うが、あれはこの小林さんへのオマージュである(ほんまかいな)。ただ、当時流行していたモノマネの正調小林節は、同じコンボイクイズで木村が1抜けした直後の田川さんが言っていた「えー?」である。(あの口で言うのが正調)
※13 小林さん
小林直樹さん。慶應大クイズ研のOBで、この前年の『第12回』でもアラスカ鉄道まで駒を進めている。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ここまで盛りだくさんなツアーだが、実はまだ2日目の夜だったりする。
僕らも大変だったが、スタッフはもっと大変だったろうと思う。
さてここで我々は針路を南に向けオーストラリアへと向かった。オーストラリアでは航空機を使って大陸をダイナミックに移動する予定だったのだが、何と航空会社のストライキにぶち当たってしまい、陸路での移動を余儀なくされた。
しかし今から考えると、それは全員にクールダウンの時間を与えたのではなかったのだろうか。もちろんクイズ企画を考える演出陣にとっては、チェックポイントの場所から形式から全部ゼロベースで考えなければいけなくなったので、てんやわんやだっただろうが、それ以外のスタッフや挑戦者には心休まる時間が与えられた。
というわけで、そんな怒涛のオーストラリア篇は7日の夜に。
こんな感じで寝てるところを起こされた。
たまったもんじゃねえや(笑)