クイズの「同じ」と「違い」

161229

もともとこのコラムでは、クイズの手練れに向けての「クイズ論」や初心者の方々に向けての「勉強法」などを中心に書いて行こうなどと考えていたんだけど、すぐに適当な話を書いてしまう。悪い癖だ。

ということで、今回からちょっとずつクイズのことも書いて行きたい。
基本的なクイズ用語やクイズ技術に始まって、ちょっと深い部分まで。もちろん一般論ではなく僕の解釈に基づいたものね。
クイズ初心者の人は「そういう世界があるのかー」って感じで見てくれたらいいし、ベテランの人は「ここは同じだけど、そこは違うだろ」なんて感じてくれればいいかな。

今回はクイズの勉強法の最初の内容として、そんな「同じ」と「違い」について書いてみたいと思う。初心者の人へというより、ちょっとだけクイズに触れている人に対する内容になってるので、参考にしたい人だけじっくり読んでちょうだい。

クイズの現場では技術や方法論などに「なるほどー」とか「そこは違うだろ」って思えるものによく出会う。そしてこれらを感じることはとても大事だと僕は思っていたりする。
だってこれ、初心者の人には決して持つことができないものでしょ。「なるほど」も「違う」もへったくれも自分の中にまだ何もないんだから。
つまり、「同じ」や「違う」という考えは必ず、自分の中に基準や軸のようなものがあるからこそ生まれるものなわけで、それはある程度、能力が向上したという証拠でもある。と同時に自分がどこまで頑張っているかを具体的に感じることができるモノサシにもなり得る珍しいものであったりするわけだ。

僕もそうだったけど、ちょっとクイズを齧った連中が、クイズとは・・・、などと偉そうに言うことがよくある。でもそれはそれでいいことなのだ。中学生や高校生の諸君であっても、誰かの考え方や方法論が納得できるときは納得して、もし自分と違ったときは大っぴらに批判すればいい。
誰もが自分の考えや方法論を確立するべきだし、トッププレーヤーになるためにはむしろ自分自身の考えを構築しなければならないと僕は考えているから。

ただし、である。
その考えなどの先には、必ず結果がなくてはいけない。
もしあなたが、誰々が言っていたやり方はダメだ、って思ったのなら、新しい自分の方法論を探すべきで、そしてそれで突き進んだ先には必ず結果を生じさせなければいけないの。
ここから先は自分自身のプライドとの闘いなんだけど、人前で偉そうに自分の方法論を語るなら、結果は死んでも出す、ってぐらいの意識を持たないといけないのだ。

もちろん、結果が出なかったら方向転換をすればいい。昨日まで批判していた人の方法論を取り入れることだって全然構わない。
とにかく結果が最優先であり、自分にフィットしたものを見つける旅に出ることに躊躇をしてはいけないのだ。

結果は死んでも出すというプライド。もしそこに本気で自分のプライドが置けないなら、せっかくの批判や意見はあたかも新橋でインタビューを受けるただの酔っ払いのたわごとに近くなってしまう。何の根拠も経験もないまま、スポーツ選手を褒めたり批判する、みたいな状態だ。
しかしながら酔っ払いのオッサンは別にスポーツ選手になりたいわけではない。彼らはあくまでも「見る側」なんだから。そういう意味では無責任な意見を言うのは間違ってはいない。
でももし、サッカーのユースの選手や中学野球の選手がトッププロに対して同じノリで言ってたとしたら、それはおかしいでしょ。
クイズも同じで、もし自分がトッププレーヤーになりたいなら、何を感じて何を表現するか、ということには最初から敏感になっているべきで、そして、思ったことに対して結果を絶対に生み出すという、本物のプライドも最初から持つべきなのだ。

ところで、クイズに限らずどんなものでも、レベルが上がるに従って、収斂していく部分と分散していく部分があるよね。
「結局そこにたどり着くんだよなー」ってことと、「そこは人によって違う」ってことの2つに。
スポーツにおいては技術の指導法も、個人のプレースタイルも誰もが全く同じにはならない。なぜなら逆にそれが常に同じだったらスポーツの世界は成立しないからだ。
スポーツにおいては勝つことが意識され、人よりも抜きんでる方法が常に模索されているからだ。

たとえば野球の打者のスイングが選手によって違うのは、指導法が画一化されていない証拠であり、また、選手個人にとってはそれが自分にとって「最も有効だと思っている」(=最も結果が出るだろうと考えている)ことが形になっているものだと考えると、それはすなわち「人より抜きん出る」ためだけに考え出されたものとも言える。
しかし、スイングの連続写真を見ていると、構えやフォロースルーにあんなに個人差があるにも関わらず、インパクトの瞬間のフォームに大きな違いは見られない。ボールを効率よく飛ばすということにおいては、そこは誰もが同じ型になってしまうのである。

僕はクイズもスポーツと考えているので、この考え方はクイズにも当てはまると思っている。クイズでも、さまざまなことでの「違い」と、誰もが会得する「同じ」がたくさん目の前に現れるのだ。
クイズを勉強するにあたっては、このような「スポーツ選手のように」という意識を持つことが大事だ。
そしてまた、どんな考えや方法論でもそれらはすべて結果に向かっているというものでなければならないということも意識しなければいけない。

クイズを勉強する、と思うとどうしても知識から入りたくなるけど、知識なんてのは実は後回しでも十分なのよ。それよりもまずは心構えやメンタルの備え方を意識することの方が大事だというのが今回の僕の結論だ。その取っ掛かりの1つとしての「同じ」と「違い」なのである。

これからクイズを頑張ろうと思う人は、「同じ」と「違い」の2つを経験の中でたくさん集めてほしい。
そしてできればいつか僕にあなた自身で築き上げたものを見せてほしい。
ただしそれらがすべて「長戸の言ってることは間違っていて」とかの一文で始まったらさすがに凹んでしまうだろうけど(笑)

とまあ、こんなことを考えていたりする2016年年末。
ではまた2017年に。
みなさん、どうぞよいお年をお迎えください。