クイズの楽しみ方の1つの形

180712

サッカーのワールドカップ・ロシア大会も大詰めに近づいてきている。
もう遠い過去のような感じにもなってきたが、今大会での日本代表の戦いほど見ていて面白かったものはなかった。
数か月前の「期待値ゼロ」という状況があったからこそかも知れないが、それを差っ引いても無茶苦茶に面白かった。

僕はサッカーについては野球ほど詳しくないので、細かな戦術や目まぐるしく変わるフォーメーションやボールを持っていない選手の玄人受けする動きなんかはさっぱりわからなかったりする(笑) しかし、ボールを持った選手やそのあたりにいる選手の動きの美しさや能力の高さぐらいはわかる。当然、ゲームそのものが放つ凄さや素晴らしさなども十分わかったりする。

そんなのは当然だ。僕なんかが改めて語るまでもなく、サッカーは世界中の子供たちが公園や路地裏で目を輝かせながらやる大人気の「遊び」なのである。その子供たちが小賢しいサッカー理論や最新のトレンドなんかを知っているはずもなく、それでもサッカーを始めてしまうのは、そのゲームそのものや選手から受ける、言葉にならない力に酔わされてしまうからである。その「力」はそれほどまでに分かりやすいのだ。だから素人の僕にでも面白さは十分理解できるのである。

サッカー、とりわけワールドカップの時にはよく「ニワカ」という言葉が飛び交う。ちょっと蔑みの意味が込められているのが不思議で仕方ないんだけど、でも僕はまったく逆に捉えるべきと思っている。つまり、ニワカの人が増えれば増えるほどそのスポーツは最も純粋な輝きを放っているということだ。

スポーツ観戦はあくまでも娯楽にすぎない。選手や経営者にとってみれば他の側面もあるだろうが、一般の観戦者にとってみればスポーツ観戦はどこまでいっても娯楽なのである。
たとえば僕らベイスターズファンは横浜スタジアムのライトスタンドでいつも大声を張り上げて応援をする。点が入ればバンザイをし、ホームランが出れば見知らぬ人と当然のようにハイタッチを交わす。喜怒哀楽をはっきり出せる、それがあの場所だ。

僕は適当に生きているけど、僕よりもハードな仕事をしている人やストレスに押しつぶされそうな人があの応援を通してちょっとでも生活に張りが出てきたり、ストレスが軽減されたらどんなに素晴らしいことか。スポーツ観戦はそういう作用を我々に与えてくれるはずで、それこそが第一義ではないだろうか。

そう思うと、今回の日本代表が見せてくれた、初戦のコロンビア戦の開始わずか3分に始まった「わかりやすい形」で勝利へ向かって驀進して行くさまは、多くの人に力を与えたに違いない。
敵は南米の強豪チーム。しかも前回ボロ負けしている相手でもある。1点は取ったしこのまま行って欲しいけど、でも逆転されるかも知れないし、でも頑張って欲しいし、みたいにみんなが綺麗にゲームに入り込める形になっていたわけである。
もしこれが開始3分で逆にコロンビアが先制していたら、なんだーやっぱり今回はダメかー、みたいな空気感も少なからず生まれて、ここまで大会自体も注目されなかったかも知れないのだ。

勝ったコロンビア戦、ドローになったセネガル戦、大逆転負けを食らったベルギー戦、どれも違う展開だったけど、いずれも見ていて血沸き肉躍るというか、熱いものを感じられた。日本中が盛り上がったのは代表が素晴らしかったということに加えて、ゲーム展開が面白過ぎたというのもあるだろう。

そこへきて異彩を放っていたのが第3戦のポーランド戦である。
スポーツは娯楽、という観点から考えると、この第3戦は残念なものだったと言えるかも知れない。いくら勝ち上がるためとはいえ、目の前の勝負を放棄した形になってしまったからだ。
だから多くの人があの試合に不満をぶつけるのは仕方のないことではあると思う。あのゲームを見てサッカーを始めようと思った子供はまずいないだろうからだ。

しかし、である。僕はサッカーの戦術には詳しくないと先に書いたが一応ルールぐらいは知っている。そしてワールドカップで勝ち上がるシステムもわかっている。
そしてそして、クイズにおいてはとことんまで勝負にこだわったという過去もある。それらをもってすると、僕的に最も面白かったのは実はこの第3戦のポーランド戦だった。

あの試合、最後の10分のボール回しが当然のことながら物議を醸している。もちろん賛否両論もあるとは思うし、どちらの意見も間違ってはいない。でも僕はあのボール回しが始まったときに、身悶えした。本当に部屋でのたうち回った。ドキドキが止まらなかった。
長谷部誠選手が交代で入った時、大きな声で指示を出すと同時に、カードを出す仕草をした。イエローすら貰うな、ということである。あれで全員が西野朗監督の戦術を理解し、そのまま0-1で終わる形を選んだ。そして見事なまでに全員がミッションを遂行したのだった。

裏で行なわれているコロンビア-セネガル戦の展開の予測や、日本代表の得点の匂いなど、さまざまな材料をすべて揃えて西野監督はあの修羅場であのタイミングで決断したのだった。その勝負師の感覚に僕は身悶えした。サッカー界にはこんな凄い人がいるのか、と久しぶりに脳天を割られた感覚に陥った。

もしあの場面でセネガルが1点入れたら、みたいなタラレバがこういう場合には横行するが、そんなことも西野監督はわかっているのである。それを含めて勝負に出たのだ。あの舞台で、あの状況で。
最後の最後を「他力」に任せたとも言われているが、あれは逃げたのではない、目的のために「他力」というカードを切ったのに過ぎないのである。
身悶えをしながら、果たしてこの状況で僕なら「他力」を選べたか、と自問していた。いやー、多分無理だっただろう。結果的に他力になったとするも、最後まで自力で勝ちに行く(引き分けに持ち込む)作戦を取ったと思う。カウンターで点を入れられて可能性が0になるリスクを背負っているにもかかわらずだ。

あの試合を見て、プロは勝負と同時に見せることも必要、という意見を言う人もいるが、僕はそれには同意しない。なぜならあのゲームは「第3戦」だからである。
第1戦や第2戦でああいったことがあるとさすがに僕でも疑問に思うが、グループリーグの第3戦というのはそれまでの2戦とは違う特別なもののはずなのだ。だからこそ第3戦だけはグループの2試合が同時に行われるのである。

わざわざロシアまで行ってつまらない試合を見させられた、みたいなことを言っていたサポーターもいた。そりゃそうだ、娯楽としては最低だからだ。でも我らが日本代表が決勝トーナメントに進めたというお祝い事として捉えて、考え方を変えてみてもいいのではと思う。これぞ第3戦、というものを見た、と。あのボール回し、生で見たぞ、とか(笑)

かつて落語家の古今亭志ん生師匠が高座で居眠りをしてしまったことがある。それを見た客は怒るどころか、落語をする志ん生はよく見るが、居眠りをする志ん生は滅多に見れないと喜んだ、という「伝説」がある。
今回のポーランド戦はそういうものとして捉えてはどうだろう。負け試合なのに負けてる側がボール回しを延々とする、なんてのは滅多に見えるものではござんせんからね。

おー、気が付いたら僕もサッカーを語ってしまっているではないか(笑) ゲームや選手が放つ純粋な「力」以外を紹介してしまっている!
まあそれほどまでにこのスポーツは人を饒舌にさせる何かを持っているのだろう。
いつかクイズがもっと一般の人々に浸透していって、それこそ「ニワカ」と呼ばれる人々までもが出現して、今見たクイズの対戦について口々に自分なりの分析や評価をすることになったら、またそれはそれで面白いよなーなんて考えてしまう、そんな今日このごろなのだった。

今回はクイズの楽しみ方についての考えを書こうと思っていて、サッカーの話は枕にすぎないつもりだったのだけど、書いているうちにどんどん話が進んでこんなに長くなってしまった。というわけでクイズの話はまた次回にでも(笑)

ではまた来週の木曜日。