クイズを「続ける」ために

180111

最近なぜかよく耳にする話がある。それは「なりすまし」のことだ。

以前にもどこかでこの手の話を書いたような気する。その時は「僕のなりすましがFacebookにいる」というネタだった。2013年か14年の話だ。
その当時、「長戸勇人」というアカウントで数年もFacebook上にのさばっていた奴がいたんだよねー。ヒマなんか。ヒマなんやろね。
そいつは僕がFacebookに登録して活動し始めるとしばらくして消えて行った。

で、今年。2018年になってから知ったのはLINEとクイズゲームアプリの中での「長戸勇人」である。ヒマやなーそいつら。

LINEの「僕」を見せてもらった。長戸勇人の「勇人」が読めなかったのか、「ゆう」というひらがなが振ってあった。いろんな意味で残念だ(笑)
アイコンには犬の写真があった。これも残念なんだよな。僕は超がつくほどの猫派だったりするのだ。亀も好きなので亀派でもある。

対戦型クイズゲームの話も面白かった。
そいつとたまたま一緒になった僕の友人が「本物なの?」って質問したところ、「秋利帰れーの長戸です」だと(笑) その段階で第三者臭がプンプンしとるやんけ。しかも10代や20代のガキ臭も。
どうせならもっと気の利いたこと言えよー。「神奈川県に苦労している長戸です」とか(笑)

とにかくLINEとツイッターと対戦型のクイズゲームは僕は絶対にやらないので、これを読んでいる良い子のみんなは決して相手にしないようにねー。

さて、今週の話。今回は久しぶりにクイズ力の強化の話でもしてみよう。

先日、ある若手からこういう質問を受けた。
「クイズを続けて行く上で『いい環境』とは何ですか?」

ほう、面白い。何気にいい質問だ。
「強くなるには?」と単純に聞いてこないのがいい。というのも、「強くなる」の大前提には「続ける」があるわけで、そこに質問の照準を合わせているのは何か次のステップに行っている感があるからだ。

誰しも何か刺激を受けるものを見たあとに、「自分もそうなりたい」だの「その世界に行きたい」という思いを持ってしまった経験があるだろう。
クイズを頑張ったことがある人は間違いなくこのパターンで、そういう人はテレビや大会で目にしたものに自分をダブらせたことから夢がスタートしてしまったはずだ。

ただ、多くの場合、思っていた結果にならずに時間を過ごしてしまう。
それはその「夢」、つまり「強くなりたい」とか「活躍したい」という思いが一定の持続力を持たず、一過性のものになったからである。

でもそれは何も悪いことではない。イマイチだったあなたは自分を卑下することは絶対にしてはいけない。なぜならばそういった「夢」というものは、一過性なものになってしまうというシステムに、もともとなっているからだ。
「夢」は時間とともに覚めていくものなのである。同様に「熱」も時間とともに冷めて行き、「酔い」も時間とともに醒めて行くものなのである。

自分が欲しいと思ったものを掴むためには「思い続ける」ことが大事なんだけど、この「続ける」という部分を気にしない人が多すぎる。最初の時期に発生する「夢」や「熱」が自分の中でとても大きく、これが減っていくようには思えないからである。
でも心配しなくていい。絶対にそんなものは「さめて」行くのだ。人間は必ず「飽きる」ものなのだ。

たしかに世の中には飽きずにずっと同じことに精進することができる人がたまにいる。
でもそういう人はごく一握りなのである。このコラムを読んでいる人でクイズの停滞期を経験した人、今現在来ている人、近い将来に来そうな人は、その一握り以外の大多数の一員だ。そういう人は「飽きる」ということへの対策をもっと真剣に考えた方がいい。

というわけで、ここからはこの「続ける」ということに対する僕からの具体的な提案をしてみたいと思う。

まず、「続ける」ために必要な要素だが、これは「強迫観念」と「楽しみ」という、相反するように見える2つのものであると僕は考える。
他のスポーツや芸事はさておいて、クイズを続けるにはこの2つをコントロールするしかないと僕は思っている。

まず1つ目の「強迫観念」だが、これは、「しなければいけない」と心が強く思ってしまうことでそれが自分の行動を支配する手順と考えてほしい。
ただし、病的に深刻なものでは決してない。夜寝る前に歯を磨く、という行為があったときに、それをやらないで寝るには気になって寝られない、という程度のものである。
これは自分の内部からの「マイナスの指令」とここでは仮に定義づけておく。

そしてもう1つが「楽しみ」だ。
これはわかりやすいと思う。人間、「楽しい」と思えることは「またやりたい」と思うから。

クイズが、たとえば学校の勉強みたいに、「嫌だけどやらなくてはいけないもの」だったら、たとえ楽しくなくても続けることができる。
しかしクイズは人生や生活にとってはあくまでも余技のようなものでしかないわけで、イヤならやらなくてもいいのだ。

逆の見方をすると、もしクイズを続けることができたとしたら、それは楽しいの連続だった、というものでしかあり得ないのである。
どんなものでも「楽しい」と感じれば誰でも続けることができる。これを「プラスの指令」としておこう。

自発的な思いだけで事が進めばこれほど話が簡単なことはない。しかしながらそうは上手くいかない。だからこそ、自分のクイズメンタル以外の部分からの「指令」を受けて、いい意味で「やらされている」というスタイルに持って行くことが大事なのだ。

「指令」は本来ならプラスだけでもいいんだけどマイナスもあった方がいい。
一見マイナスなことでも自分に有利に持って行ける解釈力があった方が感覚の幅は広がるからだ。何でもそうだが、引き出しは多ければ多いに越したことはないのだ。

ではこのプラスとマイナスの指令だが、これを発生させる方法をさらに具体的に紹介してみよう。ここからが最初の質問における「続けるための環境」の話となる。

僕は持論として、「クイズに最適な環境」には3つのものが必要と考えている。

まず1つ目。これが一番単純でわかりやすい。それは「問題を解くことを習慣化する」ということだ。
別の言い方をすると、「解かないでいるのは気持ち悪い、と思えるまで習慣化すること」だ。

松井秀喜選手のエピソードだったと思う。子供の頃から素振りを習慣化していた彼がある日、その日は一度も素振りをしていなかったというのを夜寝る直前に気づいた。
気持ち悪くなった彼はパジャマを着替え、素振りをしてから眠った、という。それと同様だ。
自分にクイズ熱があるうちに解答することを習慣化して、それをルーティーンとすべきなのである。

クイズにおいては知識量は絶対的なものではないが、ある程度必要なものであることは否めないので、正解することで得る楽しさのためにもこれは何とかして習慣化すべきだ。

2つ目は「カウンターパートを探す」である。

この「カウンターパート」は言葉の定義的には、同じような立場のクイズ仲間という意味あいになるが、クイズ好きな恋人や旦那や奥さんでももちろん構わない。親友やライバルとお互いに認め合う仲だったらなおよい。
とにかく自分が「その人といたらクイズ的な刺激を常に受けられる」という存在、それを見つけるのだ。

ただしこの場合大事なポイントがある。それは「共有時間の量」である。「相手に対する思いの量」では決してない。
いくらライバルとお互いに思っていても年に1回しか会わないとか、クイズの刺激は受けるが尊敬し過ぎて気軽に話しかけられない大先輩とか、そういう存在はカウンターパートではない。
いつでもすぐにクイズの話ができたりプレーができたりする、そのレベルの相手である。

そういう意味では仲のいい親友とか恋人がクイズ好き、というパターンが一番いい。
「飽きる」という展開は一人でいる時間が多いほど顕著になると僕は思っている。すぐに熱を呼び起こしてくれる存在を持っておくことが大事なのだ。
学生はともかく、社会人からクイズを始めようと思ったらこの存在を見つけることが非常に難しくなってくる。しかしながらそれは難しいだけで不可能ではないはずだ。自分にとっての最良のカウンターパートは誰なのか、一日も早くそれを見つけてほしい。

最後の3つ目。ある意味これが一番難しいかも知れない。それは「適切なクイズサークルに所属する」である。

この「適切な」が曖昧な表現なのは申し訳無い。しかしこうとしか書きようがない。

高校や大学のクイズ研に入っている人はそのままその研究会にいて例会を重ねればいいと思う。
しかし、その研究会の中でもしも自分が浮いていたり、万が一イジメのようなものを受けているとしたら、それは適切とは絶対に言えない。むしろ精神衛生上よくないのでさっさと辞めた方がいいだろう。

別にクイズをやる仲間はそいつらだけではないのだ。日本は広い。絶対に自分に合う場所が必ずある。そこがどこかはまだ見えてなくても、今いる研究会がそうでないのは確定しているわけだから早く離れよう。

「適切なクイズサークル」が何なのかは難しいところがあるが、絶対条件としては「自分を成長させてくれるところ」となる。そしてもう1つ、「心から楽しいと思える場所」でなければならない。

完全に満足のいくサークルはひょっとしたらないのかも知れない。だから(これも曖昧な表現だけれども)「ある程度の妥協」は必要かも知れない。
なぜ「かも知れない」と僕が書くかというと、僕はこの3つ目の点では「絶対に妥協しない」という人だからだ(笑)
納得のいくサークルがないなら、自分で作ればいい、と思うタイプなのである。

これこれこういう感じのクイズをやるサークルに所属したい、と思って見渡したらどれもイマイチなので、じゃあそれを満足させるものを作ろう、その方が早い。とすぐに考えてしまうのである。

これを読む人にそこまでの行動力を求める気は流石にないので、それと引き換えとしての「ある程度の妥協」を提案してみたわけである。
「自分の成長」と「楽しいと思える」の2点、そこは譲らずに、それ以外の部分での妥協である。

ちなみに、「自分が成長する」ためには「他人の成長をアシストする」、「楽しいと思える」ためには「他人を楽しませる」ということが実は大事なポイントになってくるんだけど、そういうのはまた別の機会に書いてみようと思う。

とにかく、「続ける」ということをあたかも客観的のように手助けする方法を考え出すことが大事なのだ。そしてそのための最も基本的なこととして僕が常々考えていた3つの方法を紹介してみた。
ここで悩んでいる人はぜひ参考にしてほしい。

ではまた来年の木曜日。