昭和60年代のロストジェネレーション

170316

いろんなところで書いているので知っている人も多いだろうが、僕がクイズを始めたのは中学2年生のときだ。
その頃(1979年)はテレビの視聴者参加型のクイズ番組がたくさんあった。

僕は当時、「クイズマニア」になることを夢見ていた。
でもこれよく考えるとヘンな話。マニアになんか勝手になればいいんであって、わざわざなれるものではないからね。
しかしあの頃、「たくさんのクイズ番組で優勝する人」のことは「クイズあらし」と呼ばれていたのだ。クイズ番組を荒らして回るってニュアンスで、かなりネガティブなイメージがついている言葉だった。

僕はこの言葉が嫌いでねー、だからそれよりも嫌いの度合いが低かった「クイズマニア」というものを採用していたのだった。(数年後、その言葉もイヤになりすぎて、それで仕方なく著書『クイズは創造力』で「クイズプレーヤー」という言葉を創造した。最近は「クイズアスリート」なる言葉があるらしい。いいねー、それ。「アスリート」なんて言葉は昔は一般的ではなく、「スポーツマン」みたいな言い方しかなかったもんなー。クイズはスポーツだ、という持論に一番沿うのは「アスリート」だから、これからはその言葉も使って行きたいなあ)

さて、当時の僕はヒマさえあれば、そのたくさんのクイズ番組を「どの順に出るか(そして勝つか)」真剣に考えていた。
そのころ、すでに「出る順番」に意味があるのはわかっていた。どこでそんな情報を仕入れていたのかわからないけど、当時のクイズ番組のなかには「ほかの番組に出ていれば出られない」というルールを敷いているものがあるのは知っていたし、「クイズあらしと思われたら問題が難しくなる」(僕の主観)ことがあるのはわかっていた。

実際、まんまその理由で僕は『クイズダービー』への出場が叶わなかったことがある。
レギュラーの回ではなくあるスペシャルの回だったんだけど、落ちたのがあまりに悔しくてTBSに電話したとき、「最終の2人まで残られたんですが、ほかの番組に出られているということで今回は落選となりました」と言われたショックは忘れない(笑)
あれは1983年でまだ高校生のときだったなー。その後、2011年の『ワールド・クイズ・クラシック』まで僕が頑なにTBSに関わらなかったのはここに理由があるのだ。(ほんまかいな)

さて、こういうことを考えてたのは大抵が授業中だった。教科書の表紙の裏に「制覇する順」なんてものをこと細かく書いたり、ノートの余白に「クイズに勝つためには」の理論のようなものを書いたりしていた。
いやー、懐かしい。鼻血出まくりの時代だったなー。

で、そのときの予定ではテレビだけで最低でも15勝はしているはずだった(笑)
しかしながら現実は残念なことにその成績には及ばなかった。

予定が狂ったのには理由が2つある。

1つめの理由。これが最大で深刻な原因だ。
それは「番組がことごとく終わった」だった。
こういうところでも決して「自分の実力が足りなかった」とは思わない(笑) そんなこと思うはずがない。そしてそれが勝負に勝つ秘訣の1つだったりする。

今もだけど当時も、視聴者参加のレギュラーのクイズ番組に出場するには原則として高校を卒業していなければいけなかった。高校生で一般の回に出場している人もいたにはいたけど、あくまでも例外だった。なんであのとき彼らは出られることになったのか、その手続きが未だにわからない。

僕が高校を卒業したのが1984年3月で大学に入ったのが86年4月。実はこの84年~86年の2年間がクイズの歴史のまさに一大転換期だった。地質時代でいうところの中生代から新生代に代わる、いわゆる「K-T境界」(最近の地学用語では「K-Pg境界」)ってやつだ。本当にこの時期に一気にクイズ番組はなくなった。
メジャーなものだけでも、『アップダウンクイズ』が1985年10月に、『三枝の国盗りゲーム』『クイズタイムショック』『世界一周双六ゲーム』はすべて翌86年3月に終了した。残ったメジャー戦は『アタック25』と年に1回の『ウルトラクイズ』だけだった。

とにかくあのころのバタバタ感は凄かった。当時の時事ネタに絡めて、「絶滅はクイズが先かトキが先か」なんて言ってた人もいたぐらい。

さて、番組がほとんどなくなった直後に僕は大学に入学した。そして某体育会運動部とさんざん迷ったあげくにRUQS(立命館大学クイズソサエティー)に入会した。
ようやく腹をくくってクイズをやろうと思ったのに時代はクイズ番組氷河期に突入した。
現在も一見クイズ番組はなさそうだけど、多チャンネル時代なので当時に比べればたくさんあるという印象だ。「勝ち数」なんていくらでも稼げるやん、とさえ思える。それほど「昭和60年代」にはクイズ番組はなかった。

でもRUQSにも僕にも当時は勢いがあった。
その頃、僕は例会や飲み会なんかでよく、「今は波が一番低いところにあるから、今、頑張った奴が次に大波が来たときに一番上にいられる。」なんてことを言っていた。1回生なのに(笑)
でもこれは真理だった。不利な状況のときにいかに頑張れるか踏ん張れるか、誰もが見向きもしていないときにどれだけ全力を出せるか、それが成功の秘訣なのである。
どんなものでもブームが来てから始めたのでは必ず一歩遅れてしまう。ブームは「始める」タイミングではなく、「乗る」タイミングなのだから。

ところで、15勝できなかったもう1つの理由だが、それは途中で『ウルトラクイズ』に勝ってしまったことだった。
マリオでいえばラスボスのクッパに勝ったようなもので、この先、どんなキャラクターが出てきてもみんなクリボーやノコノコに見えてしまう。要するに勝つことに対して満足し切ってしまったということだ。

この「満足」って奴は実に厄介だ。そこを目指して進むのにもかかわらず、手に入れてしまうと前に進む力を奪ってしまう。いかにある程度不満でいられるか、というのは大事なのことなのだと実感する。

前にも書いたように僕は間もなく神奈川県民となるわけだけれど、その生活でどこまで不満足でいられるかが人生の今後10年の飛躍のカギになりそうだ。
しかしベイスターズが新潟などに移転しない限り、スタジアムに行けばとりあえず満足してしまうのは確実なので、たぶん飛躍もクソもないんだろうなあとは思ってしまう(ダメじゃん)。
うーん、心はクイズではなくて完全にセ・リーグ開幕に照準が合ってるなー。

ではまた来週の木曜日。