第14回ウルトラクイズのこと

171012

先日、渋谷で開催された『第14回アメリカ横断ウルトラクイズ 同窓会トークライブ』を見に行ってきた。

司会は『QUIZ JAPAN』の大門編集長と、「第14回の超マニア」の日高大介の2人。
会場は超満員の大盛況だった。再放送もされていないのにこの人気。圧倒されてしまう。

『第14回』といえば僕もチョロっとだけ出演している。第1週冒頭の「優勝旗返還」というやつだ。
僕の場合の演出は、外野から登場したデロリアンの後ろにつけられた「棺桶」(としか思えない)のようなものに入って、グラウンドのど真ん中でそこから「復活する」というものだった。

外野フェンスの裏であるブルペンのあたりに待機し、その後僕は「棺桶」に入れられる。ここから先は真っ暗な世界である。

「行きますよ」と言われ、出発を確認する。
ブルペンから移動してグラウンド内に入った。しかし観客は明らかにこのデロリアンを見て笑っているのだ。棺桶の中の僕にもはっきりとその声は聞こえた。

後で知ったのだがこの時、デロリアンはエンスト状態となっていた。だから屈強なスタッフ数人で車を押していたのだ。その姿が滑稽だったのである。

東京ドームにいた3万人近い人のなかで、僕1人だけがそんなことになっていることを知らずにいた。僕は真っ暗闇の中で嘲笑だけを浴びながら1人不安と戦っていた。

白衣を着たスタッフが僕の棺桶を開けに来る。合図は2度、コンコンと棺桶を叩くことだ。
合図の音が聞こえた。いよいよである。

蓋が開く。どこにそんな仕掛けがしてあったのかと驚くようにスモークが焚かれた。
僕はちょっとだけジラしてやろう、と思ってワンテンポだけそのままでいて、ゆっくりと起き上がった。

その後が凄かった。

普段は前年度の優勝者は外野フェンスあたりからオープンカーで入って来る。その瞬間から拍手と歓声はずっと継続している。だから声や音は大きいことは大きいがそれほどでもないらしい。
しかし僕の場合はそうではなかった。グラウンドのど真ん中でいきなり登場したのだ。だから歓声が一気に起きたのである。

地を揺るがす、という表現はこういうことを言うのだと思った。マウンド付近にいた僕は挑戦者の「圧」に圧倒されてしまった。
まさに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のオープニングである。マーティがギターの音で吹っ飛ばされる、そんな圧なのだ。

クイズを始めて40年近くなるが、クイズにおける僕の忘れられない場面のトップスリーには必ずこのマウンドでの瞬間が入る。
「平松さんも遠藤さんもこんな場所で戦っていたのかー」
僕はそんなことを考えていた。

って、こんな風に書いてたら『27年前日記』じゃねえか(笑)

話を戻そう。
とにかく僕は渋谷に『第14回』のイベントを見に行ってきたわけさ。

会場は約150人のギャラリーで「満員」。『QUIZ JAPAN』主催のクイズトークイベントとしては過去最高の客数である。
『第14回』の人気の高さがはっきりと現れた形となった。

登壇したメンバーは全部で11人。みんなメインランドに上陸を果たした面々だ。

懐かしい顔だらけである。
原田と三宅と亀谷だけは年賀状でつながっていたが、それでもここ20年ほどは会ってもいなかった。「初めて実物を見た!やっほー!」という人も何人かいた。

いやー、楽しかったねー。
でもみんな変わらないなー。小林も原田も亀谷も三宅も込山も細見も、もちろん島村のアネゴも27年も経ったとは思えない風貌だ。
森田さんや三浦のお母さんなんかはほとんど時が止まってる状態だったし(どんな表現や)、何よりすごかったのが高井さん。明らかに時間の進み方がおかしい!
当時の放送を見ていて、「31歳で僕より6つ上かー、見えないなー」と思っていたのだが、そんなことをすっかり忘れていた僕はアフターの飲み会で年下だと思って最初は彼女とタメで話していたぐらいだ(笑)
途中で年齢がわかり、慌てて敬語で話すようになったのである(笑)

あと、嬉しかったのがチャンピオンの佐藤さんに会えたこと。僕は全くの初対面だった。
これで歴代のウルトラチャンピオンで直接お話をさせていただいたことがないのは、第5回の真木さんと第9回の金子さんだけになった。
って無茶苦茶マニアな話やん。

佐藤さんは頭に白いものが増え、いい感じで時間を過ごされたのがわかる。紳士然としておられ、そういう意味でも僕とは正反対のキャラクターだ。

事前アンケートをもとにしてのトークライブは大盛り上がりの連続だ。
それだけでなく時にはホロっとさせられることもあって、さすが『第14回』はガサツな『第13回』とは違うなー、と思ったのだった。

ところで『第14回』が放送されたのは1990年。
その頃はもう僕にとってクイズは「オワコン」だった。だからテレビのクイズ番組はほとんど見なくなっていた。

『ウルトラクイズ』ですらも昔のような熱は冷め、適当に見ようとしていた。
ところがこの回は週が進むごとにどんどん引き込まれていくのが自分でもわかった。
多分、何回も見直した、最後のウルトラクイズだったと思われる。

というのも、今回のトークライブの話に登場する、全てのエピソードのシーンが鮮明に思い出されたからだ。これは1回見ただけでは到底できない芸当なのである。

そうこうしているうちに僕の中にいろんなことが蘇って来た。

当時、『第14回』を見て思ったのは、『第13回』ではある意味「クイズの頂点」のようなものが描かれたけど、『第14回』は「冒険の頂点」が描かれたのだということだ。

『第1回』を見た僕が衝撃を受けたのは、まぎれもなく「冒険」と「クイズ」の融合だった。そう、『ウルトラクイズ』ではこの2つはどちらも欠けてはいけないのである。

しかも僕は「クイズ」よりも先に「冒険」を意識していたということを思い出した。
僕がクイズに強くなりたいと思ったのは、クイズに強くなることそのものが目的ではなく、あくまでもあの冒険の旅を少しでも長く続けるための担保が欲しかったからである。
つまり、先に「冒険」があり、そのための条件としての「クイズ」だったのだ。

『第13回』では結果的にクイズ強者が上位に進出したために「クイズ」の部分がクローズアップされたが、どう見ても「冒険」の部分は比較的少なくなっていた。
それを完全に補填して余りあったのが翌年の『第14回』だったのである。

ほとんどクイズ初挑戦の100人が残り、成長しながら旅を進める。まさにウルトラクイズが求めていた答の1つであったわけだ。

僕はトークライブを見ながらさらにいろんなことを思い出していた。

ドーム予選が終わった後、僕は当時の自分の情報網の限りを使って、残った100人の動向を探ったのだが、ついに正確な情報は手に入らなかった。
「○○さんの知り合いが1人いるらしい」というわけのわからない情報が限界だった。

『第10回』ではニューヨークに行った森田さんや西澤さんとはすでに知り合いだったので僕は放送前から結果を知っていた。
『第11回』『第12回』に至ってはサークルの先輩である。ツアー中に連絡を受けていたぐらいだ。
だからこの『第14回』はその瞬間に僕にとってはブラックボックスとなったのである。完全なフラットな状態で見れるなー、と思っていたのだ。

昔のように2週めに入った段階で「優勝予想」を立ててみたり、脱落者に驚いてみたり。(レバノンで三宅が落ちた時はひっくり返った。僕は彼を準優勝予想していて(笑)「森田-三宅」の決勝は鉄板と思っていたからだ)
昔のクイズ少年に戻って、手に汗を握って見ることができたのである。

もちろんクイズのレベルから見れば、そりゃ『第13回』よりはダウンする。それは仕方のないことだ。
でもあそこまで明確な差ができると今度は比較すること自体がナンセンスになる。

僕が勝手に思うに、『第13回』と『第14回』は「二部作」だったのだ。
「前編」「後編」と言ってもいいかも知れない。

「表」と「裏」、とか、昔のレコードにたとえて「A面」「B面」などという人もいるそうだが、それらの言葉にはちょっとだけネガテイブなイメージも内包しているので僕のニュアンスとは違う。
僕はあくまでも並列で並べたいのだ。

この2つの大会の順番は逆になっていてもよかったかもしれない。でもどう考えても『13』『14』と並ぶのがオシャレである。こっちの方が断然いい。

挑戦者の面々でも、永田さんや秋利、田川さん、そして僕も、『第13回』だからこそ魅力的に描いていただいたのだろうと思うし、もしこの中の誰かが『第14回』に勝ち進んでいてたとしても、あれほどにはクローズアップされなかっただろう。
反対に『第14回』のメンバーが『第13回』に残っていても、いつしか埋もれて終わっていたと思う。
両方とも、ツアールート、メンバーともにこれ以上にないベストのものだったのだ。

『第14回』は外国映画の権利関係のために再放送が叶わないという話もある。しかしいつか必ず再放送されるはずだと僕は思っている。
その時はぜひ、まず『第13回』を見て、その後に『第14回』を見て欲しい。その激しすぎるコントラストをリアルに感じることができ、僕が「二部作」と呼ぶ理由も理解していただけると思うのだ。

とにかく『第14回』は名作中の名作なのである。
それを肌で感じていた多くの人が、27年の時を超えて渋谷に集まった。
それはまさに奇跡の時間だった。

ではまた来週の木曜日。