12月の思い出

171207

僕の1世代下のクイズプレーヤーに法政大学OBの深澤岳大というのがいる。
知る人ぞ知る深澤だ。知らない人はまったく知らない。(どんな紹介や)

先日彼がFacebookにいきなり、
「あの日から20年」
という謎めいたメッセージを書き込んだ。

こいつはコナンか、と思っていたら程なくRUQS時代の盟友、京大OBの加藤実が、
「ということは、あたしは30年になるわけですか」
と返信をした。
僕はそれでやっと理解した。つまり、僕からは29年というわけだ。

ここまで読んでたぶん多くの人がナンノコッチャとなっていると思われる。
これは、かつて行なわれていた「学生クイズ日本一」を決める、「マン・オブ・ザ・イヤー」の話なのだ。

今からちょうど30年前の1987年、この「マンオブ」で優勝を果たしたのが加藤であり、その翌年の優勝者が僕なのである。
そこから9年経った1997年に優勝したのが、最初に出てくる深澤ということだ。

そんな話を思いがけず振られて僕も、そういや確かに昔は12月の1週目といったらマンオブだったよなーと思い出した。

この大会、あまり知られていないことなんだけど、1985年までは関東の大学のクイズ研だけでやっていた。「関東学生クイズ連盟」(だったかな?)が主催するのだから当然といえば当然だ。毎年正月の「箱根駅伝」みたいなものだったのである。

そして1986年に立命館大学に入学した僕が、個人的に知り合いだった、「学連」の役員でもあった早稲田の西村顕治さんにお願いして名古屋以西の大学の参加を認めてもらったのだった。

うーん、すいません、ウソついてしまいました(笑)
西村さんには「お願い」したのではなかったのである。
「マンオブ」の存在を知った僕は彼にこう言ったのだ。

「は? 立命と名古屋を入れないで“日本一”? よう言えますね」

イタタタタタタ。尖ってるなー(笑)
いやー、僕もね、昔は血の気が有り余ってたのよ。特に大学に入りたての1986年といったら一番ギラついていた時期だったのだ。

西村さんより僕は歳が1つ下だったので、彼には随分と可愛がってもらっていた。だからそんな生意気なことを言っていても西村さんは決して怒ったりせず、「そうだよなー」と納得してくれていた。そんなことを覚えてる。

まあでも、この1986年に西側から(当時は世界的にも冷戦時代(笑))大学が参加してから、「名古屋」「京大」「立命館」と「マンオブ」を3連覇するわけだから、僕の生意気な話もあながち的外れではなかったのだった。

僕は「マンオブ」に1回生の時から参加した。最初の2度はペーパークイズの順位こそ1桁だったんだけど、ともに準決勝敗退。2回生の時はホントに悔しくて、負けて泣いてしまったぐらいだ。
だからこそ翌年の大会への想いは誰にも負けず、12月へ向けて1年間、圧倒的なクイズ力をつけるためにとにかく頑張った。

さらにメンタルの意識や、プロ野球の先発投手がやる「ピーク」という考え方を取り入れ、体調も万全にした。
メンタルとフィジカルの意識をクイズに本格的に取り入れたのはこの1988年の「マンオブ」に向けてが最初だった気がする。

しかしこの、「クイズの強化」「メンタルとフィジカルの整え」がすべてその翌年のウルトラに生きてくるんだから、この年の「マンオブ」は僕には絶対に必要なものだったのだろう。

なーんかこういうことを思い出していると、ふと最近見た漫才の『M-1』を連想してしまった。

彼ら彼女らの舞台は、僕と同じように悔しさだけを原動力に1年頑張った結果なんだろうなと思ってしまう。
僕らのチャンスは4回、彼らには15回。その間に同世代のライバルを倒して、たった1つの「チャンピオン」の椅子を目指すのだ。決戦時期も同じ12月の第1週。

『M-1』は僕も好きで、つい入り込んで見てしまう。でもそれは単なるお笑い好きというもの以上に、何か「勝負」や「勝ち抜ける」ということに自分が目指してきたものとの共通項を感じてしまうが故なのだろう。
そういや阪大OBの三木智隆もやはりFacebookで『M-1』について、よく似た視点で書きこみをしていた。やっぱり感じてしまうポイントは同じなのかも知れない。

さて1988年の僕の「マンオブ」の展開の続きを最後に書いておこう。

メンタル、フィジカルとも、僕の当日のコンディションは完璧だった。

まずは予選のペーパークイズ。ここでは上位2人が1回戦を免除されるのだが、この大会で同点で1位になった2人こそが、何の因果か翌年に一緒に旅をする、長戸勇人と秋利美紀雄だったのである。
当時はまだ「帰れー!」とは言わなかったので、舞台で紳士的に握手を交わした。
(心の中で「帰れー!」と思っていたのは内緒だ)

ちなみに、三択では同点だったんだけど、近似値で僕が勝ったため1位の称号は僕が獲得した。
「第1位、立命館大学、長戸勇人!」
って呼ばれた時は嬉しかったなー。

1回戦を免除された僕と秋利は準決勝からの参加。秋利がどのコースに行ったのかは覚えてないけど、僕は「通過クイズ」を選んで勝ち抜けた。
通過席に立った最後の問題は忘れもしない。
「ジャンプステーキ/というのは・・・」
これに“1単語押し”で「カンガルー」と答え突破したのだった。
しかし「秋利美紀雄」に「通過クイズ」に「カンガルー」って、『第13回』のフラグが立ちまくりやん。

決勝は盤石も盤石。僕を入れて5人で対戦したんだけど、たしか5ポイント先取のところを8問で決めたと思う。
ウイニングアンサーは「西ドイツ」(問題は「デンマークが陸上で国境を接する唯一の国は?」)で、時代だなー。

とにかくこのタイトル獲得は嬉しかった、というより、「狙って勝つ」という形を経験できたことへの満足感が半端ではかなった。
「やろうと思えば何でもできる」を身をもって知ることになり、これは翌年に大学を休学して南米に渡る決断をすることへの重要な足掛かりになったのだった。

深澤と三木の書き込みと、『M-1』を見て、改めていろいろな思いを掘り起こすことができた。後輩どもに感謝である。

「やろうと思えば何でもできる」
たしかにそうだよなー。でもなー、最近は、まず、「やろう」と思わないんだよなー。

と、尖りもすっかり消えて丸くなってしまった長戸勇人は思うのであった(笑)

ではまた来週の木曜日。