記憶のフォルダ
20161215
子供のころから記憶力に関してはちょっと友達とは違っていた。
なーんて書くと、話は大抵「記憶力は素晴らしくよかった」的なエピソードに話がつながるんだけど、僕の場合はそうではない。
なんて言ったらいいのか、「記憶に一定のルールがない」のだ。
記憶できることとできないことの差が極めて大きいのである。しかもその両者の間に何の関連性もないから始末に悪い。
そりゃあね、もし今の年齢で初めてそういう状況になったら、ヤバいんじゃね、とか簡単に思えるんだけど、これが中学校の頃からの話だから不思議なの。
つまるところ僕は非常に物覚えが悪い。正確に書くと「むちゃくちゃ記憶力がいい、物忘れの激しい人」なのだ、ってよくわからんな。
でも僕と付き合いの長い人はそれを知っている。たとえば僕が主宰していた「東京クイズ倶楽部」や「上方クイズ倶楽部」の連中は全員この内容に頷いているはずだ。
ある種、僕とどれだけ深い友人であるかはここでわかるとも言える。
とにかく、何かを忘れるときにはそのことのカケラもなくなってしまって経験したこと自体がリセットされている。会話の内容とか単語とかそういうレベルではなく、その日そいつと会ったこと自体、またはその町に行ったこと自体がすっぽりと完全に抜けるのだ。
こういうとき、人は決まってドヤ顔で「それは重要じゃないから覚えてられないんだ」とか言いやがる。違う。重要であろうがなかろうが忘れるものは忘れるのだ。
僕にとってその物事が記憶の網にかかるかどうかは「重要度」で決まるのではなく、「運」であると解釈している。運がよければ記憶に残り、そうじゃなければリセットってことだ。
ただし、これはリセットされやすい、と明確にわかるものもある。
そのうちの1つが「人の顔と名前」である。これがまた悲しいぐらい記憶できない。
昔、塾講師をやっていた時代は新学期の時期が大変だった。新しい生徒の顔と名前を一気に記憶するなんてそんなの無茶だ。しかも間違えたら子供たちに悪いというプレッシャーもかかってくる。
いやー、今振り返ってもよく何年も乗り切ったなと思う。どうやって乗り切ったのか、今ではきれいさっぱり忘れてるんだけど(笑)
しかしながら一方で、クイズ問題やクイズに直接関係ありそうな記事やデータなんかはクイズを始めた当時から憶えようと意気込まなくてもかなりの高確率で勝手に頭の中に入って居座ってしまう。
世の中のB級ニュースも勝手に記憶してしまう側だな。ある詐欺事件の犯人のオッサンの名前を見て、ああまたやったのか、と思った自分に驚いた。
たぶん脳のどこかの部分にスイッチがあって、クイズ問題やクイズ的なことはすんなり通過して認識され、その他のことはランダムに取捨選択されてしまうってことになってるんだろうなと思う。ほんまかいな。
ところで、さっきも書いた通りこの性質は中学生の頃からあったもので、すでにその頃の僕と友達との会話にはお決まりのパターンがあった。
「なんで、それ知ってんねん」
「この前オマエが言うたやろ」
これが第一段階。こういうのがだんだん重なってくると、
「なんで、それ知ってんねん」
「なんでやと思う?」
「なんでや? ひょっとしてオレ言うたか?」
となる。これが第二段階。そしてこれがいよいよ面倒臭くなると最後には、
「なんで、それ知ってんねん」
「オレは何でも知ってんねん」
とケムに巻かれて終わりとなる。
「オレは神やねん」
のパターンも少なくなかった。
実際この手の会話は現在の家庭内でも繰り広げられている。そろそろ息子が神を自称し出した。
しかしながらこんな性質の人(僕以外にいるのか?)にもいい点がいくつかある。
たとえば、嫌いな人間を嫌いで居続けることができないこと。
イヤな思い出や嫌いな人間に対する気持ちもいつしかキレイさっぱりなくなってしまうのだ。ある程度時間が経ったら誰に会ってもストレスにならないのだ。
もちろん僕を嫌いな人は僕と会うことでストレスが生まれるだろうけど、そんなことは知ったことではない。それはそいつの問題だ。
次に、たとえ同じ物語を見ても同じ感動を何度も持てるということもある。
ただしこれは同じもの、同じ話を聞いても同じ反応ができるということでもあるため、時にはクドい展開にもなる。たとえば、
「そうなんだ、すごいねー」
って同じ話に何回も言うんだけど、さすがに3回目からは誰でも懐疑的になるらしい。
ちなみにこれまでの最高回数は8回だそうだ。同じ話に8回同じ反応をしたらしい。しかもこの反応をそばで6回聞いたという奴もいた(笑) 二人とも上方クイズ倶楽部のメンバーだが、頼むから遅くとも4回目ぐらいで僕に伝えてくれ。
あと、習慣的にウソをつかなくなったことも挙げられる。
ウソを絶対につかないとは言わないけど、ちょっと深いウソというか、ストーリー性のあるウソなんかはつかないようになった。
というか、つきたくてもつけないのだ。だってもしそのウソが忘れる側のフォルダに入ってしまったら余計面倒なことになるからだ。そんなリスクは負いたくない。
だから、なるべくつかなくてもいいウソはつかなくなったのだが、これにも例外があったりする。この人とはもう二度と会わないだろうなあと考えられる相手には普通にウソはつく。
最も多いパターンは街で声を掛けられるとき。
「長戸さんですよね」
に対しては、だいたい、
「いえ、違います」か「ぼく、弟ですぅ」と答える。なぜか決まって急いでるときなので。でもひどい話だな。ごめんなさいね。
あ、これ系の話だったら人違いで声をかけられることもあるな。一番多いのが
「永田さんですよね」
これにも当然、
「違います」
と答える。でもこれはウソじゃないぞ。実際に違うから。
心の中で「あなた、惜しい!それは負けた方!(笑)」とか思いながら振り返らずに立ち去ることにしている。
40歳を超えたころによくあったのが、
「西○さんですか」
「違います」
体型が全然違うやん! あれ、最近の僕はそうなのかな? あ、ダイエット頑張れということなのか。なんだかわからないけどありがとう!
そういやこういうのも一度だけあったな。
「道○さんですよね」
「違います」
この人すごい。一般の方にしてはクイズの世界に詳しい。そしてその詳しさをもって僕と彼を確実に間違っている(笑) もう奇跡としか言いようがない。
しかも言葉の最後が「ですよね」で、質問する相手を軽く追い込んでる(笑)
あ、ちなみにサラリーマン風の男性ね。
かなり話が飛んだなー、って、あれ?もともと何の話だっけ? まあいいか。
どうも今回のネタは僕の記憶のフォルダには入らなかったみたいだ。
ではまた来週の木曜日。