『パネルクイズ アタック25』の最終回のこと

2021.09.29

『パネルクイズ アタック25』が終了した。
このことに関してはいろんな人がいろんなことを語っている。そんなことを言いながら誰が何を書いているかなんてまったく知らないんだけど、僕もちょっと流行に乗って(笑)書き残しておこうと思う。

僕が『パネルクイズ アタック25』(以下「アタック」)に出たのは1987年。まだ立命館大学に通っていてRUQS(立命館大学クイズソサエティー)でサルのようにクイズばっかりやっていたころだ。鼻血は出まくっていたし、後ろから頭を叩かれたら口からクイズ玉がボワっと出て来る、そんなころだった。(どんなたとえやねん)

どうせいつかYouTubeに上がるだろうから先に解説しておくと、オープニングの自己紹介のときの写真は昔ジャズダンスをやっていたころのもの。髪が短いのはからすま京都ホテルのフレンチでバイトをしていたから。後ろの応援席には瀬間さんも永田さんも松尾さんもおられる。ラフな格好でピンクのパンツを履いていて花束をもらいに前に出たときに児玉さんから「すごくオシャレなんだね」って言われたのが一番嬉しかったこと、ちょっと聞き取りにくい最後のキメ台詞は「パリであなたを待っています!」です。
あ、19枚で優勝しました。

そんなこんなでクイズを頑張っていたけど、2年後にウルトラクイズに優勝してからはクイズはさっぱりやめていた。本当にあの日から座学すらロクにやっていない。何回かちゃんとやろうとしたけど3日ももたない(笑)ひどいなー。

アタックに関してもそうで、正直に言うとここ25年ほどはマトモに見ていなかったのだった。
知り合いが出る、というときに録画する程度で、それも保存するだけで見ない。見るとしたらたまたま日曜日のその時間にテレビの前にいて誰かがつけたものを見ていたという程度だった。

それでも予選には実は1回だけ行ったのだった。たしか1995年の20周年記念大会だったと思う。結婚した直後だったのでおぼえている。
関西地区予選があって僕はそこに参加。全体で2位の成績で面接まで進んだが1位の彼が出場することになって僕はそこで敗退となった。

不思議だったのはしばらくしてスタッフの方から「収録」の通知が来たことだった。
どうもその記念大会の面接まで進んだことが平場の予選通過と同じ価値があったらしい。そんなこと言ってたのかも知れないけど僕はさっぱり忘れていた。
そして僕は記念大会だから予選に行ったのであって平場には出るつもりもサラサラなかったから封筒を開けたその場で「不参加」の旨を記してポストに入れて送り返した。

どうやらその回はクイズの有名人を集めたものだったらしく、しかも僕が拒否したことがなぜかクイズ界と呼ばれる世界に広まっていて、「長戸が逃げた」という根も葉もないことを、さもオレは知ってるんだぜ、みたいな感じで吹聴するアホたちがいた。
人間は何でも自分の物差しでしか世界を見ることができない。おそらくそのアホどもは僕にそのとき起こったような場面では確実に逃げるのだろう。だから長戸も逃げたと思ったのだ。まったくもって情けない。だいたいオレとオマエらでは実力に雲泥の…(以下略)

今回、アタックの最終回を見たわけだが、そんなわけで僕としては数年ぶりに真面目に見た回となったのだった。
知り合いも多数出場している。「いしのー!」「今尾ちゃーん!」「キミエちゃーん!」と女の子だけに声援を送ったが、残念ながらみんな予選で敗退してしまった。

しかしながら知り合いがクイズをやっていることよりも僕の気を引いたのはその問題文の傾向だった。

「コスモス」ではなく「キク科」、「ろくろ」ではなく「車偏」。実に面白い。
手練れの日高大介は難なくこれらをクリアしたが、もしこの問題があの場面で出されたら誤答をする人が大半なんだと思う。ちなみに僕は「キク科!」はクリアしたが、「ろくろ!」と大きな声で部屋で叫んだ(笑) くそー、日高に負けとるやんけ!

もちろんこういった問題がすべてではなかった。しかしながら要所要所に出現するからクイズに慣れている者であればあるほど戸惑ったはずである。

ただこの放送を見た、おそらくクイズに全く経験のない人たちは、逆に「何であんなところで押すんだ。もっと待ったらわかる問題も多かろうに」と思ったはずである。
クイズを経験した多くの人が「やべー、オレもあそこで押すわー」って思ったはずなのと対照的に。

これ何かに似ているなと思ったのが、野球の投手が投げるスプリット(・フィンガード・ファストボール)だ。
フォークボールとほぼ同一視されるこの変化球はここ2、30年ほどプロ野球を席巻してきた。たしかに古くは中日の杉下茂投手や阪神の村山実投手の決め球として知られたが、一般に広まったのは何といっても近鉄の野茂英雄投手や我が横浜ベイスターズの佐々木“大魔神”主浩投手らの出現によるところが大きい。
彼らが大活躍したのが1990年代で、その前後からこの「魔球」は打ちにくい球種として認知されている。今シーズンのエンゼルスの大谷翔平投手のスプリットはメジャーリーガーさえも攻略できていない。

スプリットを投げられた打者がクソボールを空振りして三振しているシーンを見たことがある人も少なくないだろう。でももしそこで「何であんなクソボールを振るんだ。見逃したら単なるボール球だろう」という感想を持ったとしたら、それはあまりにも野球を知らなさすぎる。
バッティングというのは球を見極めてから振り切るかどうかを決めるのは間違いないが(「振り切る」である。「振り出す」のではない。150キロ超の速球が来る可能性も考えたらどんな球でも振り出すのは当然のことなのだ)、良質のスプリットは見極めた後に変化するからタチが悪いのである。そんなのバットが止まるはずもないし、当たるはずもないのだ。

今回のアタックの問題はそんな感じなのかな、と見てて思った。
だから「何であんなところで押すんだ」って思ってしまうのはあまりにもクイズを知らなさすぎる人の感想といえる。手練れであればあるほど(たとえ、変化するかも、とわかっていても!)押してしまうのだ。だからそれらを指して、少しでも解答者側に回ったことがある人で否定的に捉えている人はちょっと残念だ。「そりゃ、押すよなー」ぐらいの感想がちょうど平和な気がする。

反対に出題する側をどう見るかだが、これも致し方のないところ。
あの問題群には何ら責められるポイントもなく、「変化する」という部分も含めてまっとうなクイズ問題ばっかりである。

水島新司さんの野球マンガに『野球狂の詩』というのがあって、その主人公の岩田鉄五郎は1950年ごろの杉下茂投手よりも前に、日本で初めてフォークボールを投げた投手という設定になっている。しかも彼がその球を投げたとき、見たことがない変化から投げるのを禁止されるという物語になっていた。野球連盟が岩田投手のフォークボールを禁止した理由は、あまりの変化に「球に悪霊がついた」としたのだ。

打者を打ち取ろうとして苦心して考案した変化球をいかがわしいとして禁止するのは愚の骨頂だ、というのは現代野球を知っている我々だからこそ言えるのであって、たとえフィクションとはいえ、戦前戦後あたりだったらあるかも、と思えてくる。

アタックの問題に対して「あれは変化しすぎ」というのも同じような批判に思える。
ストレート一辺倒ではなく変化球を混ぜる名投手なのだ、アタックの出題陣は。
彼らの意識として空振りを取ってやろう(=間違えさせてやろう)というものがゼロだったはずではない。(もしあの問題群で「ちゃんと答えてもらうように作っている」と真顔で言ったら、そのときは思い切り罵倒してもいいと思う)
でもそういう変化球も含めたエースがいるチームなんだ、アタックはそういうクイズの場なんだと理解するべきではないか、と僕は考えるし、そう捉える方が平和的である。

野球のたとえを続けると、カーブから始まる投手の変化球の歴史は、同時に打者の打撃テクニックの進化の歴史を生んだ。攻略しよう、打ち崩してやろう、の連続が現代野球を面白くそして複雑にしているのだ。
だからたとえば大谷翔平投手の「魔球」スプリットであっても、あの程度の変化なら対応できるのが基本だよ、と数年後数十年後のメジャーリーガーなら言ってのけるかも知れない。戦いとはそういうものなのだ。

アタックはたまたま今回で終了になったが、もしこれが続いていたとすると、やはり全国のクイズ猛者たちは、たとえ時間がかかったとしても、あの変化に対応するための準備と対策をこなし、ぬかりなく出場して目の覚めるようなクイズを展開していたに違いない。日高大介が「車偏」でやってくれたように、未来の可能性は明確に見えていた。

最後に、今回のアタックで最も素敵だなと思ったのは、優勝したのが20代の若者だったということだ。
日高や安本や國光君には悪いが、もし彼らのうちの誰かが勝っていたとしたら(いや、勝ってよかったんだよ。負けろとは思ってなかったからね(笑))、結局この20年ぐらいは世代交代もなく進化していなかったのか、と僕なら思ったはずだからである。

しかしながら勝ったのは若い倉門君だった。見ていて何かとても嬉しかったな。ちゃんと歴史は続くんだーって思ったのだった。
大災害や大火事のパニック映画があったとして、そのラストシーンに荒れ地に1本の若い木の芽が出ている、みたいに感じた。日高、安本、國光君、すまん(笑)

そしてフィルムは「始皇帝」。若い彼がこれを答えて終わるなんて、なんて清々しいエンディングなんだろうと思った。「フィルムは絶対に児玉さんやで!」とのたまっていた自分が恥ずかしい(笑)

とにかくスタッフのみなさま、おつかれさまでした。
そして出場者のみなさまもおつかれさまでした。全員とてもカッコよかったです!