第2チェックポイント グアム (1989年9月3日)

170904

2日目の朝のグアム、恋人岬。たぶん(笑)
間もなくドロンコクイズが始まる。きゃー。

勝者40人はホテルへと向かった。
ホテルに着いて間もなく、いきなりプールで撮影ということになり、水着に着替えて集合となった。
「ははーん、さては砂浜に行かせないための口実やな。」
この時点で明日のクイズは「ドロンコ」であろうと予想された。

僕は急いで部屋へ戻り、あのヒゲを剃ることにした。
「何故あそこでヒゲを剃ったのですか?」といったような質問を放送後に山ほどもらったが、今ここでその理由を明らかにしよう。

ヒゲを剃った理由は3つある。
まず1つ目は、ヒゲは成田での小道具に過ぎず、役目が終わっていたから。
2つ目は、単に暑かったから。
そして3つ目、実はこれが一番大きな要因なのだが、機内ペーパーを通過した8人の女の子がみんな可愛かったからである(※1)。彼女らにいい印象を与えようと思ったのだった。ウソのようだが本当なのだから仕方がない。

15分でヒゲを剃り、みんなの待つロビーへと降りて行った。
恒川や山本なんかはすぐに僕とわかったが、他のみんなは変な目で見ている。近ツリの加藤さん(※2)までもが変な具合だった。全員が僕を僕だと認識するまでに1時間ぐらいの時間を要した。

「おい、今晩奇襲があるかも知れんぞ。」
プールで稲川のジジイ(※3)がRUQSや名大の連中に言った。
「しょうもない怪情報を流すな!」
と僕はジジイに言ったがどうやら彼には根拠があるらしい。
それは他の部屋はツインベッドなのに彼のところだけはダブルだというのである。(※4)

うーん、たしかに変だ。それに「奇襲」からもう5年も経っており、そろそろやってもいい頃だ。
僕らはだんだんその気になって来ていた。

撮影も夕食も全て済ませ、僕らは部屋へと戻った。
奇襲に備えて夜更かしをせず、僕らは早めに眠りに就いた。

朝がやって来た。
ジジイを信用した僕らがバカだった。何事もなくその夜は過ぎて行ったのである。
「なんや、いつも通りドロンコだけやんけ、あのクソジジイ。」
ドロンコの当日。僕はひょんなことから朝から妙に気合いが入った。

目隠しをさせられて僕らはバスでクイズ会場まで「連行」された。
一列に並ばされた後、
「では、目隠しを取ってください。」

そこにはどこかで見たことのある○と×との2つのボードが立っている。
泣く子も黙るドロンコクイズだ。(※5)

スタッフによる「泥」の実演の後、すぐに本番となった。目の前で予想以上に迫力のあるものを見せられてみんな多少ビビっていた。

クイズに先駆け、次の目的地が発表になった。次は何とオーストラリアとのこと。
みんな声を上げて喜んでいたがこの40人のうち15人はヌカ喜びになるのである。

トップバッターの機内ワースト1位の片山、2番手で同じくワースト1位の池田が正解。
3人目のワースト3の佐藤さん(※6)が初めての人身御供となった直後、いきなり僕らの順番になった。何と「ウルトラ3連覇」をもくろむRUQSと東大クイズ研の対決なるものが催されることになったのである。
正直僕はショックだった。みんなのハマる姿を見た後にゆっくり正解をしてやろうともくろんでいたからだ。

先攻東大のトップバッターは機内第2位のデーモン関口(またの名をタージン関口)(※7)。
彼が華々しく玉砕した後、後攻RUQSのトップバッターには僕が指名されることになった。
心の準備も何もない。「イテテテテ・・・」と腹を押さえる仕草をしながらボードの下から向こうが見えないかと見てみたがやはり見えない。
もうええわ。どうにでもなれ。
半ばやけくそで問題を聞くことにした。

「問題。たとえ刑務所の囚人であっても、働かせすぎると労働基準法に引っかかる」

これが僕への問題だった。
「そんなもんわかるか。○や○や!」
疾風のごとく駆け抜け、僕は「○」のボードを突き破った。

目の前には真っ赤な泥の海が広がっていた。人間は死の瞬間にそれまでの生涯の出来事が頭の中を駆け巡るそうである。僕もその瞬間にいろんなことを頭に浮かべた。
まず最初に見えたのが高笑いする秋利の顔だった。こいつは自分が5年前に泥をかぶったことがあり、そのためにいつも僕に「初心者はハマるぞ。」と脅しをかけていたのである。
次に見えたのが何故か富士山だった。日本に戻るんだという象徴だったのかも知れない。
そして病院のベッドが見えた。今度こそゆっくり体を治して・・・。
そう思っているうちに僕は全身を泥に突っ込ませた。

確かにさっきまで真っ白だった僕のズボンから、ただの真っ黄色だったTシャツまで、全てを泥色に染めて僕は佐藤さんとタージンの待つ敗者席へと向かう。

と、ここでいきなり大雨が降って来てクイズは一時中断となった。
情けないのは我々3人である。およそ20分ぐらい中断したのだがその間中、何か異星人を見られるような目で見られ、「こっちへ近寄るな!」と口々に言われてしまった。
「みんな、何でそんなに心が狭いんだ。さあ、こっちへ来てみんなで抱きしめ合おうじゃないか。」
「アホか。」
僕の崇高な提案は一言で却下された。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※1 機内ペーパーを通過した8人の女の子がみんな可愛かったからである

これは本当だが、ペーパーで落ちた女の子もみんな可愛かったです。
四半世紀経ってフォローができてようやく肩の荷が下りた(笑)

※2 近ツリの加藤さん

加藤清介さん。「『桃屋の花らっきょ』として親しまれている」、と紹介された方。最近お電話で話す機会があった。もう近ツリは辞められたそうだが、お元気だった。

※3 稲川のジジイ

『創造力』では「稲川ジジイ」となっているが、オリジナル原稿では「稲川のジジイ」である。
5回生でもクイズ研の例会に来ていた大先輩を後輩どもが「このジイさん」とか「ジジイが」とか親しみを込めて(笑)呼んでいたこともあり、シャレで僕は原稿に書いた。しかし情報センター出版の編集の美穂さんがいたくこの表現を気に入り、彼女は「稲川ジジイ」と1つのニックネームのように書き改めたのだ。当時も今も稲川さんはニックネーム的には「稲ちゃん」と呼ばれるが、かつてRUQS入会間もない1回生の早乙女弘和が「稲ちゃん、稲ちゃん」と呼ぶのにはさすがにこれは早乙女を躾けるべきかと悩んだことがある。でも面白いからいいや、と放っておいた

※4 彼のところだけはダブルだというのである

それ、よく考えたらチャンピオンへのご褒美やん。たぶんダブルの部屋を1つ取らなければいけないことになって、じゃあここに誰をあてがうか、チャンピオンでいいんじゃないか、って話だったんじゃない?
あ、ひょっとして2人部屋なのに男同士でダブルだったってことか。つまり夜に1人が移動する前提と考えたわけだな。たしかにそれなら合点がいく。しかし男同士でダブルって、いきなり罰ゲームから始まっとるやないかい。チャンピオンなのに(笑)

※5 ドロンコクイズだ

ドロンコクイズの正式名は「突撃○×ドロンコクイズ」である。

※6 佐藤さん

佐藤まゆみさん。13回の綺麗どころの1人。ウルトラクイズではその回の上位進出者だけでグループを結成することがよくあるが、僕らもゴールドコーストで泊まったホテルの名前にちなんで「ラマダクラブ」というのを結成した。ゴールドコーストのホテルなので当然そこまで行ったメンバー25人だけが入れるようだが、実際はクラブにはグアムで落ちた6人の女の子も含まれる。なので同時にドロで落ちたにも拘わらず、稲ちゃんなどにはクラブ結成の話は内緒にされた(笑)

※7 デーモン関口

関口聰。あまりにも飛び込み方が鮮やかなので(笑)何度もリプレイされる「ドロカバ」。先日の日テレの特番でも放送されたもんなあ。おいしいなあ。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

いきなりビキニになり周囲を驚かせた青野さん(※8)。観光客の男の子たちの黄色い声援を浴びて飛び込んだ吉田(※9)。第10回のときと同様「○宣言」(※10)をし、今回は×へ行き正解をした永田さんら、40人中22人が正解しオーストラリア行きをものにした。

しかしながら勝者の定員は25人である。
ということでで、ここで残る3つの席を目指して敗者18人で敗者復活戦が行なわれることになった。(※11)
形式は「逆ドロンコクイズ」。今度は正解すれば泥が待っているのである。

ここでもやはり1人ずつ飛び込むことになった(※12)。稲川のジジイを始め、何人かは間違えてマットの上に落ちた。
僕を含めた正解者は13人。いつまでも逆ドロばっかりをやっていくわけにはいかないので、ここからサドンデスの○×をやることになった。
僕はこのクイズに自分の持ちうる全気力を出した。(たぶんこのクイズが今回、最も気合の入ったものだっただろう) 5問出題された段階で復活者の3人が決まった。
成田に次いで二度目の復活を果たした加藤さん、名大クイズ研の長谷(※13)、そして僕である。

「やった!」
僕と長谷は抱き合って喜んだ。実は僕らはグアムのホテルで同室であり、この日の朝、絶対に勝とうと誓い合った仲なのだ。
「おめでとう」
RUQSの連中が祝福してくれる。永田さんの顔を見たら緊張の糸が切れたようで(※14)、僕は思わず泣いてしまった。
涙腺の弱い僕はこのツアー中に合計5度泣いてしまうのだが(※15)、これがその最初であった。
僕はズボンの後ろポケットから愛しきマルタの写真を取り出してキスをした(※16)。写真は泥にまみれていたがそんなことは関係なかった。

オーストラリア行きの25人が決定した。
ジジイはともかく、谷中や6人の女の子たちと別れるのは寂しかったが、まあ仕方のないことである。僕らはウキウキした気分でバスに乗り込みホテルへと向かった。

グアムを突破した、ひとクセもふたクセもある25人は以下のメンツだ!

5   青野“シズ姉”志津江 ≪OL≫
12 片山泰宏 ≪名古屋大経済2年≫
13 秋利美紀雄 ≪塾講師・名古屋大クイズ研OB≫
16 井端剛 ≪銀行員≫
17 加藤“カトチャン”安司 ≪会社員・早稲田大クイズ研OB≫
18 山本“ジュニア”信義 ≪立命館大経営3回・RUQS≫
19 及川純也 ≪東京大工3年・東京大クイズ研≫
21 伊藤“トシノリ”寿規 ≪名古屋大工2年・名古屋大クイズ研≫
24 池田豊 ≪同志社大1回・同志社大クイズ研≫
25 関根“コアラ”俊明 ≪埼玉大工4年・埼玉大クイズ研≫
27 阿部“アベ姉”光枝 ≪OL≫
28 山田“ヤマピー”幹夫 ≪会社員≫
32 吉田肯一 ≪中央大経済2年≫
50 永田喜彰 ≪会社員・RUQSOB≫
51 長谷昌浩 ≪名古屋大工2年・名古屋大クイズ研≫
60 長戸勇人 ≪立命館大文休学中・RUQS≫
61 正木茂 ≪慶應義塾大経済1年≫
65 小林直樹 ≪会社員・慶應義塾大クイズ研OB≫
67 正木“オグラ”修 ≪電気通信大2年≫
68 木村文彦 ≪東京大文Ⅱ1年・東京大クイズ研≫
80 恒川“パーマン2号”岳久 ≪立命館大経済3回・RUQS≫
85 小室周也 ≪会社員≫
90 田川“ター兄ぃ”憲治 ≪会社員・東京大クイズ研OB≫
99 吉野均 ≪名古屋大1年・名大クイズ研≫
101 関戸雄一 ≪千葉大3年・千葉大クイズ研≫

いよいよ明日はオーストラリアだ!

本気の本気の本気のクイズの直後。
よく見るとちょっと目が赤い(笑)

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※8 青野さん

青野志津江さん。『第13回』のヒロインの1人。小室さん、山pに次ぐ年長者だが天然の部分が輝くとても可愛い方。

※9吉田

吉田肯一。何かと面倒見がいい性格で帰国してからの同窓会の幹事を一手に引き受けてくれていた。ウルトラツアーでも自然に吉田の部屋がたまり場となっていた。

※10「○宣言」

『第10回』でグアムまで進出した永田さんは、問題を聞く前に正解を言う、という方法でカメラをゲットした。そのときはご自身で正解がわかっているにも拘らず律儀にも不正解の「○」へ行って負けてしまう。『第13回』でも同じことをして「○」を宣言したが、さすがに今回はちゃんと「×」へ行って正解をした。ただしカメラはゲットできず、本編ではカットされた。

※11 残る3つの席を目指して敗者18人で敗者復活戦が行なわれることになった

今回のドロンコでは僕の知っている限り2人が自身の就活のために「わざと間違える」を実行していた。つまり、彼らが死んでくれたおかげで僕と長谷は復活することができたわけだ。
しかし「わざと間違える」はある意味、「正解を選ぶ」と同じことなので凄いことではある。

※12 1人ずつ飛び込むことになった

これ、18人が志願順に飛び込むんだけど、僕は最後に飛び込んだ。「トリ」を選んだのは「第13回は僕の大会」と本音で考えていたからである。でもよくよく考えたら、視聴者的にはどこの誰かわからない僕より、チャンピオンの稲ちゃんをトリにする方が自然だよなー。だいたい先輩なんだから、おいしいところは譲れよな、俺。
この逆ドロは本当に気合いが入った。問題を出す前にトメさんはいろいろと話し掛けてくるのだけど、僕はそれを一切無視して会話を成立させず、瞬きもせずに彼の目を見つめた。(目つきが悪いので「睨んでいた」も正しい)
正解した後、「気合い入ってたねえ」とトメさんが言うのは、これが理由なのである。

※13 長谷

長谷昌浩。名大クイズ研。「長谷」は「ながや」と読むのが正しいが、トメさんはしょっちゅう「ハセくん」と呼んでいた。

※14 永田さんの顔を見たら緊張の糸が切れたようで

これは本気泣きをしたねえ。僕にとってはここが最大の山場だった。コンボイでもヤバかったが、ここまで追い込まれてはいなかった。

※15ツアー中に合計5度泣いてしまうのだが

すんません。どこで泣いたか、きれいさっぱり忘れてしまいました(笑)

※16マルタの写真を取り出してキスをした

僕は機内ペーパーのときからずっと彼女の写真を出していた。しかし本放送で扱われたのは5週目が最初だった。

本邦初公開。これがツアーに持って行っていた「お守り」写真。
この写真にどれだけ救われたことか。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ドロンコクイズが始まる前、太陽が一瞬のぞいたグアムの空を見て思ったことがある。

『ウルトラクイズ』は毎年8月にドーム予選が開催されるのだが、参加したほとんどの人がそこで敗者となってしまう。僕も『第8回』から出場しているが『第12回』までことごとくそこで敗退していた。
1年かけてワクワクして待って「8月」は来るが、いつもそれはその日のうちに終わってしまうのである。

でもこの年は違っていた。『ウルトラクイズ』はまだ終わっていなかったのだ。
日本では秋の気配が感じられる9月、グアムという異国の地で僕はあの暑い朝の東京ドーム前の気候を思い出していた。
そのとき思わず漏らした一言が、「夏が続いている」だった。

常勝校でない高校の野球部が地方大会を突破して夏の甲子園に出場した時、おそらくそのチームの選手たち、とりわけ3年生たちは同じことを感じているに違いない。
いつもは7月中に終わってしまう野球が8月になってもまだ続いている、そのこと自体の凄さを感じているはずなのだ。

僕はあの一瞬現れた太陽を見て、そんなことを思わずにはいられなかった。

というわけで、この続きは明日の夜に。
なぜかまだまだグアム篇は続く。