宴会地 サンフランシスコ (1989年10月2日)

171002

賞品地での収録は午前中に終わり。午後からはオフとなった。
僕は1人でサンフランシスコ観光を楽しんだ。このツアーで初めて旅行気分を味わった。


「11番」が来たので思わずシャッターを切った。

夜はスタッフとともに打ち上げの食事会が催された。
スタッフの人たちはそれまではワザと僕ら挑戦者とは口をきかないことになっていたのだが、今日はもう違うのだ。
僕は全員とたくさんの話をした。スタッフ間の裏話、僕らの裏話、スタッフと僕らの騙し合いの攻防戦など、話題には事欠かなかった。

「だけど今回ほどスタッフと挑戦者のみんなが一体になった回はなかったよ。もう13回を超えるものはできないかも知れないなあ。」
トメさんは僕ら『第13回』の挑戦者全員に対する最大級の賛辞をくれた。

食事会の盛り上がりのまま何人かでカラオケに行く。何とこんなところにもカラオケがあるのだ。

トメさんは渋いのどを効かせて演歌を歌い(※1)、僕は加藤さんらと肩を組んで『想い出の渚』や『俺ら東京さ行ぐだ』を熱唱する。(※2)
カラオケは僕は大嫌いで日本では絶対に行かないのに(※3)、この夜は4曲も歌ってしまった。
しかしこれでも少ない方で、「カラオケ大王」の異名をとる加藤さんは時間ギリギリまで唸っていた。

アメリカを発つ朝がやってきた。
まずサンフランシスコから空路でLAXへ向かいそこから成田へと飛ぶのである。

再び訪れたロサンゼルス国際空港はやはり何も変わっていなかった。
僕がエクアトリアーナのウエイティングで時間を潰した、思い出のカフェテリアで狩野さんたちとコーヒーを飲む。加藤さんは手続きだったのだろう、トメさんと金子さんはそれぞれの目的で空港内を散歩しているようだった。
コーヒーを飲み終えた僕も懐かしい空港内を歩いた。この地はわずか2ヶ月の間で3度目だ。ただ今回は南米の思い出だけでなくウルトラツアーの思い出も僕は持っている。

チェックインの後、出国手続きなどを済ませてとうとう僕はアメリカの外へ出た。
出発までまだ時間があったので僕はロビーのイスに座り、ある1冊のノートを眺めていた。

そのノートとは僕が今回持って行った自作問題のクイズ問題が書かれているノートである。
後半半分がまだ未使用だったためにグアムの夜に後に「ラマダクラブ」となる24人にメッセージ付きサインを書いてもらっていたのだ。
クイーンズタウンの会食の時、僕はそこで図々しくもトメさんにサインをねだり書いてもらっていた。ただその頃はトメさんもまだよそよそしく、サインと一言だけを書いてくれていたのだった。

この前日、サンフランシスコのホテルのロビーで僕が一人でいるとトメさんがやって来て言った。
「おい、あのノート、持ってるか?」
「持ってますよ。」
と僕が差し出したノートを受け取るとトメさんはそこに何とメッセージを書いてくれたのだ。

ウルトラクイズの優勝賞品はシャレが効いているものや形にならないものがほとんどである。そういう意味では準優勝にも3位にも賞品はあるのだ。
だが「形の残る優勝賞品」を僕はこの時受け取ったのだった。それほどまでにこのメッセージは嬉しかった。

「1ヶ月、頑張ったよな…」
僕はノートを最初から見直し、わずか30日ほどの出来事を懐かしんだ。

とうとう飛行機は飛び立った。
機内でのことはほとんど覚えていない。たくさんのことを思い出していたのだろうが、わからない。

いつしか僕は眠りについていた。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※1 トメさんは渋いのどを効かせて演歌を歌い

これ以来、吉幾三の『酒よ』や『雪國』を聞くとトメさんを思い出す。

※2 僕は加藤さんらと肩を組んで『想い出の渚』や『俺ら東京さ行ぐだ』を熱唱する

ステージで歌っている加藤さんに「長戸君、おいでよ!」と呼ばれて肩を組んで青春歌謡喫茶のように歌った。でもここでもハプニングがあり、入力の設定ミスで『思い出の渚』が連続3回かかるという異常事態が発生。僕らは肩を組んだまま同じ曲を3回歌ったのだった。
一生分の『思い出の渚』を歌ったので、僕はあれからこの曲を歌っていない(笑)

※3 カラオケは僕は大嫌いで日本では絶対に行かないのに

今はもうカラオケは行くわ、映画も見るわ、トマトも食うわで僕も立派なオトナになりました。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

サンフランシスコでのカラオケと、その後のバーでの会話は、このツアーで最も楽しい時間の1つだった。

ニューヨークの2問目の「刹那」でワザと間違えたという話をしたらトメさんがいたく感心してくれていたのが印象的だったなー。
また、優勝賞品に対する感想を聞かれた時に筒井康隆の『生きている脳』の話をしたんだけど、その時には、「お前の話はいつも本当に面白いなあ。」と言ってくれた。

うん、嬉しかったことって次々に思い出すよねー(笑)

翌日のLAXで登場するノートだけど、あれにはもう1つ話がある。
クイズをやっている側の人にはひょっとしたら有名かも、なんだけど、僕は19歳の時からクイズプレーヤーのサインを集めている。
今はもう鬼籍に入られた方もおられるが僕が中高生の頃に活躍されていた方を中心に、最近は収録で一緒になった若手まで、実に数百人のメッセージがある。
原則的に知り合ってすぐにお願いをしている。なぜならその方がよそよそしくて後で見て一緒に笑えるからだ。
ウルトラツアーのグアムで書いてもらった中には永田さんのように2回目のサインを書いたという人もいるが、それをカウントしないとして、このサイン帳に2度メッセージをくれた人は過去に2人しかいない。

1人はあの秋利のアホだ。「書くな」と言ってるのに「再び登場だー」と書いたのである。
そしてもう1人こそが、このトメさんなのだ。

「人生、かわったか?」
最初のサインはこの短いフレーズだったのだけど、2回目のサインでは長いメッセージをいただいた。
今回それを特別に紹介しようと思う。
ってトメさん、勝手に載せてごめんなさい。

おまけ


これが当時実際に持っていたマルタの写真。
これではわかりにくいが、グアムの泥に一度
まみれているので全体が茶色っぽくなっている。