第9チェックポイント ショットオーバー (1989年9月17日)

170917

クイーンズタウンの市街地から車で数分入ったところにショットオーバーという観光地がある。
この地にはニュージーランド国内を始め世界各地から観光客がやって来る。なぜならここにはとても面白い「スポーツ」があるからだ。
その素晴らしいスポーツの前で僕らはクイズをやることになった。

太平洋に浮かぶ島国にバヌアツという国がある。かつての日本に元服という儀式があったようにこの国にも古くからの成人の儀式がある。
広場の中央に櫓を組み、そのてっぺんから成人となる男が真っ逆さまに飛び降りるのだ。櫓と足を結んでいるロープは地上スレスレのところでピンと張り、飛び降りた男は上手く助かるのである。これぞ究極の度胸試しだ。

ショットオーバーにあるその「スポーツ」というのはこのバヌアツの「バンジージャンプ」を元にしている。櫓の代わりにここでは43メートルの高さの橋の上から、ロープの代わりに足に強力なゴムをつけ、川めがけて飛び降りるのである。
日本円にして1回約8000円。全く世の中、何が商売になるかわからない。
飛び降りる時、みんな恐怖のためや気絶するのを防ぐために大きな声を出す。
そんなバンジージャンプの橋の前で僕らがやるクイズは、ついに登場、「大声クイズ」だっ!

このクイズは手でボタンを押す代わりに声の量や大きさによって早押し機を作動させるのである。ほとんど恒例になっているものだが史上初めて女性が1人もいない状況となった。その分だけ激しくやかましくむさ苦しいクイズとなってしまったのだ。


ショットオーバーの風景。
こういった場所を高速ゴムボートで岩すれすれを走り抜ける。
バンジージャンプも怖いがこっちもたいがい怖い。
ニュージーランドの人は怖いの好きなんか?

どんな言葉を叫ぶのかは一人一人違っている。
会社を休み続けているカトちゃんは上司の名前をひたすら叫ぶ。「藤吉常務すみません!」
留年決定の及川は両親に直訴。「仕送り止めないでー!」(本人は「留年させろー!」と言いたかったらしい)
コアラに似た関根はそのまま、「とっちゃんコアラ!」
Mr.マリックのおかげで戻って来た永田さんは感謝の意を込め、「マリック様さま!」
今回このクイズの敗者になるのを最もビビっていた高所恐怖症の正木は「崖っぷちのギャンブラー!」(うーん、綺麗にまとめてあるなあ)
最年少、東大の木村は「受験問題出せー!」(と言いながら、実は木村はスポーツや芸能の問題に強い)
さて恒川。恒川が何を叫ばされるかは僕にはとても興味があった。てっきり僕は「サンダーバード!」(似てるので)とか、「パーマン2号!」(似てるので)とか、「山口良一!」(似てるので)とか、「腹話術の人形!」(似てるので)とか、「くいだおれの人形!」(似てるので)とかと思ったのだが無難なところで落ち着いてしまった。「小学生のアイドル!」
では何故こいつが小学生のアイドルなのか、ここで説明してみよう。
僕らはオーストラリアあたりからファンレターの話をしていたのだ。誰がどういう層のファンから手紙をもらうか、などというくだらないネタを半ば洒落、半ばマジで語っていた。
で、みんなの結論として、女子中高生は木村を中心に吉田や片山へ。(内容は「お返事待ってます♡」) 女子大生やOLはター兄ぃと井端の一騎打ち。(内容は「今度お会いしてくれませんか?」) そして男子中高生は秋利、長戸の一騎打ち。(もちろん内容は「どうしたらクイズに強くなれるんですか?」) そして小学生以下は恒川の独走ということだった。蓋を開けてみれば殆ど当たってなかったのだが、恒川のもとに小学生からファンレターが届いたのはまぎれもない事実である。
キーウィ田川ことター兄ぃは「考えすぎのコンピューター!」。これは機内4位の成績にも拘らず、なかなか抜けられない原因であるボタンの遅さから来ている。

そして僕と秋利である。
まず秋利は「長戸帰れー!」となった。
もちろんスタッフのジョークなのだが、放送を見た人の多くがこれで僕と秋利が本当に仲が悪いと思ったようである(※1)。僕のところに届いたファンレターの多くに「秋利キライ!」などと書いてあったが本当は仲がいいのだ(※2)。
たしかに道中は互いに罵り合いながら来ていたが、もう4年も付き合っている仲だからこそできる芸当だった。あいつはギャンブル好きで下宿の部屋の掃除も全然しないし、酒を飲むと人格も変わるけど、でも本当にいい奴だ。(フォローになってない)

こうなると僕はやっぱり「秋利帰れー!」と言わざるを得なくなってしまう。
「売られたケンカを買うのも男〜」と『もーれつア太郎』も言っている。(※3)
ちなみに本来僕が叫ぶはずだった言葉は「マルタ、今行くぞー!」だったらしい。うーん、こっちの方がいいよなあ。実際のところ、僕が叫びたかった言葉は、「マルタ、愛してるよー!」だったんだけど。

九者九様、今回は例年以上に愉快な言葉が揃った。
野郎ばかり9人、色気のないところへさして色気のない大声クイズ。
本番スタート!

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※1 僕と秋利が本当に仲が悪いと思ったようである

実は本当です。

※2 「秋利キライ!」などと書いてあったが本当は仲がいいのだ

「秋利キライ!」 GJ。

※3 と『もーれつア太郎』も言っている

細かすぎるなー。70年代生まれの中学生には無理だなー。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

永田さん、秋利、パーマン、長戸、そして及川が勝ち抜けた。
以下、「受験問題出せー!」と言いながら相撲の問題で抜けた木村、あまりの恐怖症のために途中から後ろでやっているデモンストレーションを見なくなってしまった正木(VTRを持っている人は見てみよう。引きつった顔の正木もなかなかシブい)、そして今回も考えすぎたター兄ぃが続いた。

残るは関根とカトちゃん。
関根は自分の言葉を「とっちゃんボーヤ!」と間違えて爆笑を誘ったが、実は大スランプ。一時はマイナス4ポイントまで落ち込んでしまう。
が、しかしそこはさすが埼玉大クイズ研、一気に正解しまくり大逆転。LA行きの切符をモノにした。

罰ゲームとして恐怖のバンジージャンプ体験をさせられるハメになったカトちゃんを残して僕らは足早に(というより「バス早に」)ショットオーバーを後にした。
しかし何かとてもこの場所を離れがたいものがあった。カトちゃんのことはどうでもいいのだが、僕はこのバンジージャンプをやりたくて仕方がなかったからだ(※4)。
こう思っていたのは僕だけではなく他にも何人かいた。ただ正木と秋利だけは死んでもイヤだと言っていた。

クイーンズタウンで再び一泊した後、僕らはクライストチャーチへ。
9月18日、とうとう南半球最後の夜となった。

オーストラリア、ニュージーランドととても充実した時間を過ごして来た。クイズはもとよりそれを離れた観光や遊びでもたくさんのことを経験したと思う。ただ一つ残念だったのは「現地の名物を食べる」ということが達成できなかった。
しかしこれはみんなの心の中に大きなテーマとしてずっと持たれていた。早い話がみんなヒツジが食べたかったのである。

グアムから始まった日本食、またはチャイニーズ(そしてまたあるときはコリアン)の連続攻撃は容赦なく僕らを疲弊させていた。
僕らを案内してくださっていた近ツリの小出靖夫さんも加藤清介さんも嫌がらせでやっているわけではなく、むしろ僕らの体調と番組のスムーズな進行を考慮されて、そういった食べ物を選択されていたのだ。
しかし旅行の大きな楽しみの一つはやっぱりその土地土地のものを食べるというのがある。これも間違いないところだった。

「それぢゃあ、今日ワ、日本食ということデ」という加藤さんのモノマネも流行していた僕らにとっては東洋食は最早ギャグとなっていたが、ここへ来てとうとう一揆を起こしてしまう。
「お代官さま、ラムを食べさせてくだせえ」
加藤さんはちょっとガッカリされていた様子だったが何とかこの夜だけはOKとなり、僕らはとうとうめでたくラムを食することができたのである。

普段はあんなに騒がしくディナーを食べる僕らだったが、この夜だけはみんな無口だった。あまりにラムが美味しくて中には涙を流す奴もいたくらいである。(うそつけ!)
しかしながらこの夜を境に東洋系料理の無差別攻撃が始まったのは言うまでもなかった。

さあ待ちに待ったアメリカ本土だ。よくもまあここまで来たもんだ。
というわけで、次はいよいよ「夢のカリフォルニア」である。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※4 僕はこのバンジージャンプをやりたくて仕方がなかったからだ

放送時、僕は「ここでは負けたくない!」と叫んでいたが、その実はやりたくて仕方がなかった。ではなぜあんなことを言っていたのか。それはカメラが欲しかったからである(笑) ただそれだけだった。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「永田さんが復活する」という情報を僕らが事前に知っていた話はシドニーでのコラムに書いた。しかし実はその時、もう1つ知ってることがあった。
それが「ニュージーランド行き」である。
これは僕が仕入れたネタではなく秋利が仕入れたものだった。
奴の話によるとどうもスタッフが持っていた書類が見えてしまったらしいのだ。そこにはニュージーランドへ行くとはっきり書いてあったとのこと。(実はウルトラクイズでは案外こういうことがある)

ニュージーランド行きがわかり、秋利は僕だけにそれを打ち明けに来た。
「どうもニュージーランド行くらしいぞ。」
「ホンマか! 何で知ってる?」
「書類が見えた。」
「そうかー、ほなマジやな。」

と、2人でコソコソと真剣な顔つきで立ち話をしているその時だった。

「まーた、お前らは何を悪巧みしてるんだー?」

全く無防備だった。後ろからトメさんが声を掛けてきた。
マイクに近づいて話す漫才コンビのような立ち位置でいた僕らの後ろから、右手で僕の右肩を、左手で秋利の左肩を持ってのトメさんの登場である。

いやー、あの時はびっくりしたの何のって。全身の毛が逆立った感じがした。ビクッと体が動いたのは確実にトメさんにはわかられてしまった。

「いや、これからどこに遊びに行こうか、って話をしてたんですよ。」
「ふーん、そうかー。」

トメさんはそう言い残してどこかに消えて行った。

この僕と秋利の話はシドニーでクイズをやる前の出来事である。これから移動するというタイミングでホテルの前で話をしていたのだった。
秋利が手招きをして僕が近づいて行き、耳打ちに近い形でのコソコソ話を始める。しかもこっちも途中から顔つきがマジになって行ったのである。これはもう見る人が見れば秘密の話し合いにしか見えないだろう。

一体トメさんはどの段階で僕らの後ろにいたのか。ネタの大きさに僕らは周囲の確認を完全に怠っていたのだ。
敢えて聞かなかったのだが、ひよっとしたらトメさんは全部聞いていたのかも知れない。というのもあんな登場の仕方はあの時が最初で最後だからだ。

僕らはニュージーランド行きの情報をみんなには伝えたが、やはり「知らなかったことにしような」という打ち合わせをしてシドニーの本番を迎えた。

さて、永田さんが帰ってくることもニュージーランドに行くことも全部僕らは知っていたが、それを表に出すことは絶対にしなかった。それはなぜか。番組のクオリティに対するケアだからだ。

ウルトラクイズは約半年をかけてコースや企画、問題が作られる。スタッフはより面白いもの、より良いものを作ろうと本気で頑張っているのだ。
そしてその味付けとして僕ら挑戦者たちを精神的に追い込む。情報をギリギリまで与えずにいて、その時その時の「初見の反応」をカメラに収めるのだ。

クイズのゲームそのものは流れによるんだけど、チェックポイントに着いた瞬間やクイズのルール説明の表情などはスタッフのやりようによっていいものが撮れるのである。
となるとこの関連ものでは最も時間的に早いものは、「次は◯◯です!」という、次チェックポイントの紹介時となる。つまりここでも新鮮な驚きは撮れるのだ。

でも、もしそこで僕らが、ああそれは知ってるよ、みたいな空気感を出せばどうなるだろうか。それは放送には耐えられないものになるに決まっている。

問題はここからなのだ。そういう空気感をスタッフは無茶苦茶嫌うのである。
そういう空気感が出そうになったらスタッフはどういう対策を取るか、多分彼らは「内容を変更する」を選択するだろうと僕らは考えたのである。

つまり、半年かけて考え抜いた「面白いもの」を、僕らにバレてしまったというだけで「違うもの」をやろうとするのである。これはマズい。なぜならばかなりの高確率でそれは「面白くないもの」になるからである。

もちろんウルトラのスタッフは凄いので、それでもある程度以上のクオリティのものは作るに決まっている。その代表的な例がゴールドコーストの「ライフセーバーのようなクイズ」である。あのクイズ、僕らからしてみれば十分面白いものなのだが、あれはあくまでも急遽作った形式で(だってそもそもゴールドコーストには行く予定はなかったんだから)、スタッフは帰国後の飲み会で「急遽作ったからあの程度のものしかできなかったんだよなー。」と言ってたからね。

僕らはとにかく「最高のウルトラクイズで優勝する」ことが目標だったので、それならば練って練って練り尽くされた企画で勝負したかったのである。
「永田さん復活」も「ニュージーランド」も僕たちは知っていてはいけなかった。もっと正確に言うと、知っていることを知られてはいけなかったのだ。

ちなみに今回のショットオーバーでも同じようなことがあった。
町の土産物屋で働いていた日本人の兄ちゃんたちはこっちがウルトラクイズだとわかると口々に「ああ、だったらあそこでやるんだなー。」と言っていた。僕らが「どこですか?」って聞いても彼らは頑なに「行ったらわかるよ。楽しみにしときなよ。」と言うばかりで結局は何も教えてくれなかった。
スタッフからしたら100点満点の対応である。聞いた僕らがこんなことを言うのもおかしいが、教えてくれなくて本当に良かったのだ。

「情報」は扱いが本当に難しい。情報を提供するとみんなが興味を持ってくれるから、情報を手に入れたらすぐに全部吐き出すアホみたいな人がたまにいる。しかしそういうのは『第13回』では1人もいなかった。
ひょっとしたら立ち話を全部聞いていたトメさんも、僕らが情報の扱いをどうするか、実はわざと泳がせていたのかも知れない。

ウルトラクイズはどこまでも騙し合いなのである。

というわけで、次のロサンゼルス篇は20日の夜に。

僕らが記念写真を撮っていると、右側を歩いているトメさんが…

自ら入って来てくれたのだった!
ちなみに最前列におられるのは篠崎プロデューサー。