第11チェックポイント ツインレークス (1989年9月22日)

170922

次の目的地はツインレークスである。

さてこの町はどこにあるんやろ…。
あ、あれ?ない。ない! 地図帳はおろか、どんなガイドブックにも載ってないのだ。ロッキー山脈の中にあるのはわかっているのだが…。

どこにあんねん! この町は!

デンバーからバスで約3時間半、僕らはロッキー山脈の山ふところ、コロラド州はリードビルという町にやって来た。気がついたらそこはとんでもない田舎だった。周囲は全部、山、山、山。緑は多いが人は少ない。最近まで下手にLAなんかにいたもんだからそのギャップの激しさに少し戸惑った。

しかしながら、次のチェックポイントであるツインレークスへのベースキャンプ的なこの町は、多少疲れが見えて来た僕らにとってはとても落ち着けるいい場所だった。ただ一つあった難点は、この町が標高3000メートルの高地にあるということだ。つまり空気が薄いのだ。

余程激しい動きをしない限り空気が薄いというのは気にならないのだが、それでも平地で生活する者にとっては夜寝るときに呼吸困難を生じさせ、睡眠不足を招く。日中は口で息をしたり呼吸数を増やすなどして調整しているのだが、夜となるとそうはいかないのである。

ただ、僕はそんな状況にあってやはり懐かしさを感じていた。この空気の薄さはクスコやキトで体験していたからだ。
ちなみにクスコとはペルー南東部にある都市で、かのインカ帝国時代は首都として栄えていた古都である。標高3000メートルほどの高地にある。
エクアドルの首都、キトはそれよりは少しだけ標高の低い2800メートルほどの位置にある。
いずれにしても高い場所であるのは間違いない。

お世辞にも近代的とは言えなかったリードビルのホテルの夜、僕は一瞬クスコを感じた。
薄明かりの中で僕が見たものはアンデスの高峻な山々、インカの遺跡、極彩色に彩られた衣装をまとった行商人のおばさんや子供たち。みんな僕の目の前に現れて消えて行く。まさかこんなロッキーの山の中でアンデスのことを思い出すとは。
僕はいつもと変わらず枕元に置いてあるマルタの写真に再びおやすみのキスをしてやっと眠りについた。

クイズ当日の朝である。まだ9月だというのに少し肌寒い。早めに目が覚めたので掘っ立て小屋のようなこのホテルの近くをブラついてみる。
うーん、やっぱり山はいい。大自然に囲まれると知らず知らずのうちに元気が出て来る。
「よし、今日は1抜けしたる!」
そうこうしているうちに朝食の時間がやって来た。
普段、朝食といったらホテルの食堂でとるのが常なのだが、今回は何故か弁当ということになった。ホテルに食堂があるにも拘らず、である。
食堂の前で配られた弁当を各自の部屋で食べるということになった。僕らは妙に大きなスチロールの箱を受け取りそれぞれの部屋へと消えた。

この弁当は何かヘンだった。箱は大きいのだがとにかく軽い。しかも中に入っているものがゴロゴロと動くのである!
一体何を食わせんねん、と言いながら箱を開け開けると、まさに「開けてびっくり玉手箱」という感じ。箱の中には大きなトマトが1個、「どどーん」という音がするぐらいの存在感でそこにあった。そしてトマトの脇には申し訳程度の小ささのケーキ(!)があった。

「何や、これ…」
隣の部屋からは笑い声さえ聞こえる。でも僕は笑えなかった。
「こんなもん、朝っぱらから食えるかい。」
実は僕はトマトが大の苦手なのである。小学校の時に給食であの青臭いトマトを無理矢理食べさせられてからダメなのだ。だからこんなところでトマトに登場されても手も足も出ないのである。(※1)
とはいっても朝からケーキだけを食べるなんて芸当は僕にはできない。下手に食べて胸がムカムカしながらクイズになってもマズいからだ。

かくしてツインレークスでのクイズは「朝飯前」に行なうことになった。
弁当はトマト1個。まさかこれがスタッフ一流のシャレだとはその時は夢にも思わなかった。

いよいよツインレークスへと乗り込む。
リードビルからバスでさらに山奥へ10数分行くのだ。
「ツインレークス」という名前の由来となった2つの湖はバスから見えたのだが、いつまでたっても「町」という状況にはならない。それもそのはずで、この「村」は人口がわずか17人だそうな。なるほどそりゃ地図にもガイドブックにも載らんわな。

バスを降りジープに乗り換えたが、尚も僕らは奥地へと進んだ。
「どこまで行くんや…」
少し不安になってきた僕らに追い打ちをかけるように突然目の前に白い車が現れた。屋根にはランプ、胴体には「AMBULANCE」の文字。
「これ、ひょっとして救急車とちがうか?」
ひょっとしなくても救急車だった。
「オイオイオイオイ」
「オレらどうなんねん。」
不安がみんなの口々から出て来た。

僕の頭の中で何かが引っ掛かった。
そう、例の「31・サバイバル」のジュラルミンケースである。
「そうか、わかった!ここでサバイバルクイズをやるんや!」
怪情報の第一人者を自認する僕は叫んだ。
「なるほどー。」
今回ばかりはみんな納得した。
とにかくこのツインレークスでのクイズは、何をどうするか全然わからないけど、(※2)「サバイバルクイズ」をやるのだろうということになった。

ジープは小さな広場のような所で止まった。そこには旗が3本立っていた。
「あれ、日の丸とちゃうの?」
真ん中に立っていた旗は一見したところ日の丸なのだが、よーく見ると違っている。そう、赤い丸の上に「へた」がついているのだ。
「ト、トマト?」

「それでは後ろをご覧ください!」
振り返るとそこにはいつの間にか大勢の人々が立っていた。

「チャージ!」
トメさんの掛け声とともにみんな一斉に手に持っているトマトを投げ合った。「トマト戦争」の始まりである。

「今日はこれでクイズをやります。」
「エエーッ?!」

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※1 こんなところでトマトに登場されても手も足も出ないのである

ずっと食べられなかったトマトだが、最近ようやく食べられるようになり、今では普通に食べてしまっている。大人になるのはこういうことなのか、と何か大事なものを失くしたような感じがして寂しい。

※2 このツインレークスでのクイズは、何をどうするか全然わからないけど

そこが大事やん。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

真っ白なTシャツ、エルボーパッド、ニーパッド、そして円形のアクリル板が支給された僕らは、完全武装させられて「戦場」へと向かった。
そこには先程僕らの前で派手にやっていた「軍人」たちがいた。

スタッフから詳しい説明を受けた後、いきなり本番となる。
「まあちょっと走ってトマトを当てられて、さっさとクイズに答えて勝ち抜けたらええわ。」
などと甘く考えていた僕に早速天罰は下った。
まずとにかく「痛い」のだ。トマトがこんなに硬いとは思いもしなかった。しかも「速い」のである。(聞くところによると、このトマトは冷凍されていたものをこの日の早朝からスタッフ総出で湯もみしたのだという。冷凍トマトを6000個も湯もみ。スタッフのみなさん、本当にご苦労様です)
空気が薄いのも徐々に影響しそうだ。1回走ってみて僕はすぐに作戦を立て直した。

その頃の僕はまだ病み上がりの体。ゴールドコーストでヤバくなった実績もあるのでここは体力温存戦で行こうと決めた。みんながわかる問題は捨て、難しい問題だけ取ろうとする作戦だ。しかも長期戦に持ち込むとトマトを投げる方も疲れてくるはずだ。

当初はチンタラやっていた僕だったが、また作戦を変えなければならなくなった。
というのも、難しい問題が出ないのである。
みんなどんどんポイントを稼いで行く。これはマズい。体力に不安はあったが、僕は早くも玉砕戦法に出た。ボタンに辿り着く前に最後の塹壕まではとにかく真っ先に飛び込もうという作戦である。

10問ほどやった頃、だんだんと周りの連中が疲れて来ているのがわかった。空気の薄さが意外と効いている様子だった。
一方僕の方はほとんど全く疲れていなかった。実際は疲れていたのかも知れないが、他の者に比べるとそんなのは疲れに入らないぐらいの感じがした。
20キログラムほどの荷物を背負ってアンデスの山々を歩いたのは伊達ではなかったんやな…と僕は一人で納得をしていた。

さらにクイズが進んで行くとついにみんなは酸素吸入を始めた。相当ヤバそうだ。こうなると僕の元気が余計に目立ってしまうようになる。実はもうこの時、僕が病人だということを知っていたトメさんはやたらに僕の体を気遣ってくれたが、実際には僕が一番元気だった。

僕はもうこのトマト戦争が楽しくて仕方がなくなっていた。
元気な者を狙えという指示がスタッフからあったらしく僕は軍人たちから集中攻撃を受けたのだが、もはや痛みは快感に変わっていた。
また、塹壕の中でみんなと顔を合わせ、いろいろと雑談をするのも楽しかった。
「今の問題、なんて?」
「答、知ってる?」
など、おおよそクイズの勝負中に敵同士でする話ではなかった。(※3)

さて、勝負の方は、トップ抜けにスポーツ万能の永田さん、次に秋利、そして3抜けで僕が続いた。
木村、及川が抜けた後はいよいよ関根とター兄ぃの一騎打ちである。

関根といったらショットオーバー、ロサンゼルスと続けてラスト抜けを果たしている。またター兄ぃは「土壇場の魔術師」であり「キーウィ田川」である。ともにラス抜けのプロともいうべき2人の戦いなのだ。
ともにリーチまでこぎ着けたのだが、ラス抜けにかけてはやはり役者が一枚上か、ター兄ぃが勝ち抜けた。
埼玉大学クイズ研のウルトラV2(※4)はこの瞬間夢と消えてしまった。
コアラ関根は罰ゲームの後、救急車に乗せられて帰って行った。あれだけビビらされた救急車は、ただの罰ゲーム用だったのだ。

いやーしかしこのクイズは面白かったねえ。
こんなクイズをさせてもらって本当に僕らは幸せ者です。(※5)

今から思うともしロサンゼルスで恒川が落ちていなかったらかなり面白いことになっていた気がする。あの虚弱体質がトマトをボコボコに当てられながらもチョロチョロと走り回る姿を想像するだけで涙が出てくるほど愉快だ。
またもし正木が残っていたとすればこれもまた面白い。永田さんに負けないスポーツマンの正木は水を得た魚のようにプレーしていただろう。
となると、クイズの展開は間違いなく変わっていたはずで、そうなったら僕の優勝もなかったかも知れないのである。(※6)

げに勝負は水物だ。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※3 おおよそクイズの勝負中に敵同士でする話ではなかった

「中国の政治機関で日本の内閣に相当するものを何という?」という問題でも僕らは雑談をした。「全人代なら知ってるんだけどなー」とか僕も言っていた。
しばらくして塹壕を脱出した僕はボタンを押し、そして答えた。「全人代!」。当然ブザーが鳴る。誤答だ。ただこのクイズでの誤答の扱いは「トマトをぶつけられながら戻る」だったので実は何もマイナスにはならなかった。とにかく一度ひたすらぶつけられる、ということをやってみたかっただけなのだ。
あわよくば放送されたらいいかなー、とも思っていた。ついカメラを欲しがってしまうのである(笑)

※4 埼玉大学クイズ研のウルトラV2

『第9回』優勝の金子孝雄さんが埼玉大クイズ研OBである。

※5 こんなクイズをさせてもらって本当に僕らは幸せ者です

僕のクイズ人生で、やっぱり歴代ダントツの1位だなー。

※6 そうなったら僕の優勝もなかったかも知れないのである

んなわけない(笑)

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ところでこのツインレークスでの放送では、トマトを投げる軍団の一人が両手で大きな丸を描いているのが確認できる。
現地にいた人以外はこのサインが何のこっちゃわからないと思うのでそれを解説してみよう。

実はあの「丸」は僕を指しているのである。「丸」ではあるが「マルタ」とは何の関係もない。
このゲーム中何度もトメさんは遠くの出題席から「長戸大丈夫かー?」って聞いて来た。本当に何度も。僕はその都度「大丈夫でーす」という意味で両手で丸を作ってサインを送っていたのだ。
トマト軍団へのスタッフからの指示は「元気な奴を狙え」だったらしく、だから彼らは僕を狙って来た。「あの丸の奴」を集中攻撃していたのだ。

たしかに高地にあるツインレークスでは及川を始め、ほかの何人もが酸素マスクで酸素を補給していた。しかし僕はそれを一度もしなかった。なぜなら何ともなかったからだ。このクイズの数ヶ月前、ツインレークスほどの標高の高さにあるペルーのクスコやエクアドルのキトなどに滞在していたがその時も別に息苦しいとは感じずにいた。たぶんそういう体質なのだろう。つまりツインレークスの環境に最も馴染んでいたのは僕だったのである。

しかしながらトメさんは終始僕のことだけを気にかけてくれていた。これが理解できなかった。ちゃんと考えれば仮説は立ったんだろうけど、そんなことよりもクイズに夢中だったので(面白かったんだよー、トマト戦争。見ているよりもやってる方が数万倍面白いの)、ヘンだなというぐらいで気にはかけなかった。

さてここからが今日の本題である。

ツインレークスから遡ることちょうど20日。9月2日の出来事だ。
これは僕が日本に帰ってからスタッフと飲みに行った時に聞いた話である。

A型肝炎に罹って入院した僕はギリギリで病院を抜け出した。あくまでも正規の手続きで退院したんだけど、あの状況はスタッフ側からしてみたら十分グレーゾーンだったのだ。
当然それは僕にもわかっていた。だから絶対に肝炎の話はしないでおこうと決めていた。事実、過去のウルトラではアメリカ大陸に上陸していながら病気を理由に日本に強制送還された挑戦者がいたからだ。そうなっては元も子もないのである。何のためにわざわざ南米から帰ってきたのか。

僕はツアーのメンバーにも口止めをし、協力を仰ぎ、ひた隠しに隠した。クイーンズタウンの宴会で「飲まないのか?」とトメさんに言われても「優勝するまでは酒は飲みません」と我ながら上手い言い訳を咄嗟に思いついてアルコールを避けていた。
そしてこのツインレークスでも僕は頭からそれを信じていた。病気の件は絶対にバレていないと。

しかしスタッフはかなり早い段階で僕がA型肝炎を患い、しかも完全に治っていないうちにクイズに参加している、という情報を正確に把握していたのである。

彼らがそのことを知ったのは成田空港だった。

ジャンケンに勝った挑戦者が進む通路には公衆電話が並んでいる。多くの人がここで日本にいる家族や友人、仕事の同僚などに連絡をする。
回によって放送する時としない時があるものの当然ここにはスタッフがカメラを持って待機しているのだ。

さてここに登場したのが『第12回』と『第13回』で連続して成田までやって来た小林直樹さん(エーッ!)。彼はここで電話をした。そしてその相手がたまたまお医者さんだったのだ。そこで彼は何と、「長戸がA型肝炎みたいなんですけど、うつりますか?」などと喋ったのである!(笑)

回答は当然「うつらないよ」で彼は安心したんだけど、びっくりしたのはそれを聞いてしまったスタッフの方だった。こっちはこっちでドクターにどうなの、と聞いたとのこと。

ちょっとした会議の結果、長戸に関してはケアはするがとりあえずはドクターストップはかけずにクイズを続けさせてみよう、ということになった。
だから実は日本を出る最初から、僕の健康はずっとスタッフの監視下にあり(笑)、無茶なことをして倒れてしまわないように注意がなされていたのである。

一方僕はそんなこととはつゆ知らず(笑)、病気は絶対にバレていないと思いながら過ごしていたのだ。アホ満開やん。
そして逆にスタッフは僕にバレてることをバレないように過ごしていたのだ。
まさに「永田さんの復活」と「ニュージーランド行き」を黙っていた僕のやり口と同じなのである。

ウルトラクイズはスタッフとの戦いでもある。『第13回』ではまさにこんな感じで騙し合いが繰り広げられていたのだ。

というわけで、次のチムニーロック篇は24日の夜に。


Wコアラ。(東京の売れない漫才コンビの名前みたいやな)