第5チェックポイント モーリー (1989年9月9日)

170909

ゴールドコーストからバスで大平原の中を約6時間半。僕らはモーリーという聞いたこともないような所へとやって来た。

はっきり言ってここはド田舎である。いやもっとはっきり言うとクソ田舎だ。
ド田舎とクソ田舎という程度の差を明確に区切る境界線を僕は知らないが、とにかくここはクソ田舎という言葉でもって表現したい。
とにかくとんでもないのである。町の中には信号がたったの1つ。むしろあるのが不自然。銀行はあることにはあったが行員は日本円を見たことがないという始末。町のことをいろいろ聞こうと思ってツーリスト・インフォメーション(一応ある)へ行ったら、「長期旅行のため休み」。土産物屋なんかはあるわけがない。あるのは郊外に競馬場と町の中の場外馬券売り場ぐらいのものだ。(※1)
「怪情報」によるとここはエアーズロックの代わりだとか。それにしてはちょっとひどすぎる。

みんなブツブツ文句を言いながらも何だかんだで楽しんだ。競馬をやったり町をブラついたり公園を散歩したり。それぞれでモーリーを満喫した。
そういや慶應のM木や名大OBのA利などは地元のベリンダという女の子をナンパして、いや、引っ掛け、いや、仲良くなったりしていたなあ。

僕はみんなと離れて1人で過ごしていた。
この何とも言えない田舎の雰囲気が、かの南米をダイレクトに連想させてくれるのである。
公園の芝生の上でゴロ寝していると、自分がまだエクアドルやパラグアイにいるような気になるのだ。「町の端」があるモーリーを歩いていると、まだパタゴニアの田舎にいるような気がするのだ。

クイズ前夜、みんなでカトちゃんの誕生パーティーをやった。
パーティーといっても食事の時にカトちゃんを中心としてみんなで歌を歌ったりするだけだったのだが、戦場にあって何かほのぼのとした雰囲気となった。
カトちゃんが目を潤ませながら「ありがとう、ありがとう」と言ったのがとても印象的だった。

翌日のクイズに対してスタッフから注文があった。
「明日は走りますので走りやすい靴を用意してください。」
とのこと。
おいおいまた体力クイズか? 体に爆弾を抱えている僕は少々不安になったが、まだ22人もいるのだ、何とかなるだろうと楽観的だった。

クイズ当日の朝早く、僕は走るクイズに備えて町をランニングすることにした。
同じことを考えつく者はいるもので、ホテルのフロントで吉田と顔を合わせた(※2)。(実は他にも走っていた人がいるらしい)

一緒に走りながら吉田と言葉を交わした。
「絶対勝とうな。」
「勝ちましょう。」
団体戦が終わり、これからがウルトラの個人戦のスタートである。気力、体力、精神力…。知力の他に何をどこまで要求されるかはわからないが、とにかく気を抜かず、テンションをキープして臨むだけである。

ホテルからバスでクイズ会場へ向かうことになったが、どんどん平原の中を入って行く。
「いったいどこまで行くねん。」
僕らはみんな多かれ少なかれ不安になった。
とあるところでバスは停められ、僕らはそこで待たされてしまうことになる。クイズ会場はもうすぐなのだが、まだ準備や何やらかできていない様子だった。

どれぐらい待たされたであろうか。みんな待たされ疲れでクイズ前にヘトヘトだ。
(ウルトラクイズではよく「知力・体力・時の運」といわれるが、実感としてそこにはもう一つ「精神力」というのが加えられなければならないと思う。今回のようにバスで何時間も待たされたり、目隠しをさせられて移動したりといった具合に様々な心理的プレッシャーをかけられてしまうからだ。クイズで負けるならまだしも、こんなもので参ってしまってはどうしようもない。気を強く持つこと、または気の紛らわせ方を考えておくことを僕は勧める)

やっとクイズ会場に到着。
だだっ広い草原にヘリコプターが1機。

ここでやるクイズは「史上最大 大サバイバルクイズ」というものだ。
早い話が少し距離が長いバラマキクイズである。
勝ち抜けられるのは22人から何と14人(ゲッ!)
8人が敗者となり、しかも敗者復活はなし!(ゲゲッ!)
ビビってるヒマもなく
「用意、スタート!」
2ポイント先取で勝ち抜け。名物「ハズレ」は今回は25%だっ!

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※1 あるのは郊外に競馬場と町の中の場外馬券売り場ぐらいのものだ

オラこんな村いやだー、オラこんな村いやだー、シドニーに出るだー。という歌が自然と口をついで出てくる。モーリーとはそんなところ。

※2 ホテルのフロントで吉田と顔を合わせた

これには驚いた。ランニング用の服に着替え、まだみんなが寝静まっている時間にフロントに行ったら吉田が僕と同じいでたちで靴を履こうとしていたからだ。
走るクイズのために早朝ランニング。○遊チーム、むちゃくちゃ健全やん。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

コアラ関根が怒涛の1抜け。そして及川が続いた。

後ろから5人目ぐらいの位置からスタートした僕だったが(※3)、上手く1問目をクリア。しかし続けて2回連続でハズレを引きいきなり窮地に陥る。(「これを何と言う!」と言われた瞬間に感じられるあの気分。炎天下にいてなお背筋の凍る恐怖が君にわかるか!)(※4)

4周目にもなるとどんどん抜けて行ってしまう。
恒川、山本、永田さん。RUQSの連中も上手く勝ち抜けて行く。
とうとう残る席があと4つとなってしまった。ここで僕の番だ。
さあこれがハズレだったり僕がミスったらほとんど勝ち目は無くなってしまうぞ。
恐る恐るトメさんに封筒を手渡す。

「問題があったぞ!」
正直ホッとした。問題さえあればもうこっちのものだ。

「ギリシア神話でスフィンクスの謎を解いたのは誰?」
やった、ラッキー!屁みたいな問題や。
「エディプス」
あれ?何の反応もない。まさか読み方の問題か?
「オイディプス」
「正解!」
よっしゃー! 僕はギリギリのところで勝ち抜けた。

みんなの待っている勝者席へと向かう前にレイギャルから祝福のキスがあった。ゴールドコースト同様、僕は嬉しさのあまり思わす彼女を抱きしめた。

「おい!マルタ!何をやってるんだ!」
まだバラマキクイズが終わっていないにも拘らず、トメさんから教育的指導が入った。
後に秋利は僕のこの行為を「悦楽タイム」と言ってバカにしたが、こんなもんやったモン勝ちじゃ。ざまあ見さらせ。
とはいえ実のところは僕は本音では密かにレイギャルを抱きしめようと思っていた。しかしこの回以降、毎回トメさんによってチェックされるようになってしまった。

通過枠はあと3つである。
ここでやっとハズレ2回ミス1回で一時はもうダメだと思われていた秋利が奇跡の逆転勝利でしぶといところを見せる。(テレビには残念ながら映っていなかったが、こいつは最後の方は悲惨な顔つきで走っていたのだ。(※5)それは今だに話のタネになるほどだ)

最後の残りの2つには秋利の後輩、伊藤トシノリ、そして最年長の小室さんが滑り込んだ。
敗者8人が決定した。
千葉大クイズ研会長の関戸。モーリーのホテルの洗濯機をいとも簡単に壊した“デストロイヤー・オグラ”こと正木修(※6)。グアム泥トリオの一角、長谷。同じく名大で、この後鼻血を出して倒れてしまう片山。同志社の大ボケ男、池田。宴会部長のメンタル吉田。それに山Pこと山田さんと志津姉こと青野さんである。

よくもまあこんな個性的な人間ばかり落ちたものである。
とりわけ僕にとっては仲の良かった長谷や吉田、いろいろ世話をかけてしまった山P、そして僕の姉と全く同じ生年月日だった志津姉(僕はゴールドコーストからずっと舎弟扱いにしてもらっていた)が落ちてしまい、一気に寂しくなった。
ゴールドコーストの○遊チームも残るはあと3人である。

敗者復活戦は予告通りなかったのだが、それはそれとしてこの8人は楽しい道中を過ごしながら帰国したらしい。

聞いたこともなかったモーリーの次は、聞いたことあるけど多分それとは違うブルーマウンテンである。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※3 後ろから5人目ぐらいの位置からスタートした僕だったが

バラマキクイズでは絶対に1番で帰ってはいけないのよ。理由は簡単、みんなも考えてみよう。

※4 炎天下にいてなお背筋の凍る恐怖が君にわかるか!

放送後僕は7000通ものファンレターをいただいた。『クイズは創造力』を読んだ感想を書いてくれていた人もいたのだが、その中にたった1通だけ「お叱り」を受けたものがあった。
それは50代の男性からのものだった。彼が批判した箇所こそがこの部分である。
正確には忘れてしまったが、その手紙の内容の趣旨は、「年上の人間も読むのだから、『君にわかるか!』という表現は失礼だ。」だった。
たぶん今の僕と同じぐらいの年齢の人だったんだと思う。その手紙を受け取ったときに、「何言うてんねん。オッサンに向けては書いてない!」とムカついた記憶があるが、このことを思い出した今、彼とほぼ同じ年齢になって僕にも違う感想が生まれた。それは、
「知らんわ。黙っとれ!」

※5 悲惨な顔つきで走っていたのだ

いや、これ、凄かったのよ。しんどいのか泣きそうなのかよくわからん顔つきだった。放送してほしかったなー。

※6 “デストロイヤー・オグラ”こと正木修

正木修が「オグラ」と呼ばれる所以は、俳優の小倉久寛さんに似ていることである。しかし数年経って山田さんの告別式にメンバー全員が集まったとき、彼は見違えるほどにイイ男になっていた。あれには驚いた。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

モーリーのバラマキクイズで思い出に残ってることは、2つの「コケ」である。

1つ目の「コケ」は問題がバラまかれた直後に起こった。
ヘリからバラまかれた封筒に向かって僕らは全員でダッシュしたのだが、女性2人だけはハンデとして前の方から走った。
そして僕ら男性陣が彼女らに追い付こうかというその時、志津姉が転倒したのである。(これは本放送でも流れている)
ちょうど僕の前20mほどで倒れてしまった彼女をどうするか、僕は一瞬考えた。
普通の僕ならどんなことがあっても女性を助けることを最優先する。さらにひょっとしたらカメラももらえるかも知れないし(笑) しかし僕はそれをしなかった。なぜならば、それをすると「勝負に負ける」という気がしたからである。
本気で勝負をするときは、勝負以外の要素に心を傾けてはいけないのだ。
あのときもし僕が志津姉を助けていたら、勝ち運が彼女に移ってしまい、彼女が抜けて僕が負けることになっただろう。勝負とはそういうものだからである。

そしてもう1つの「コケ」はバラマキ中のこと。
解答マイクと封筒との間は相当距離があったのだけど、そこでは実は小倉淳さんがレポーターとして走りまわっていた。
1問目を正解し2つ目の封筒を取りに走った僕は寄って来たレポーターの小倉さんの前で派手にコケてみせたのである。そのとき小倉さんは一言、「クサい大阪のコケ」とレポートした。
1問目を正解して心にスキがあったからこそのコケ芸だったのだが、そんなことをしているから2回続けてハズレを引くのだ。
そして勝負の怖さを確認してしまった4周目の僕は、小倉さんの言葉にも耳を傾けず真剣に淡々と走った。そして正解をしたのだった。

というわけで、次のブルーマウンテン篇は12日の夜に。

「サバイバルクイズ」の前に僕が撮った写真。
こんな余裕あったんや。
みんないい顔してるねー。