得意不得意②

170427

前回、初めて連載を落としてしまった。コラムを楽しみにしているベトナム在住の秋利君、ホントに申し訳ない。ってなんでオレが謝らなきゃいけないんだっつーの。

予告していた通り、先週、とうとう神奈川県民になってしまった。
いやー、「来る」のと「住む」のとでは全然違うのね。自分は骨の髄まで京都人ってわかるわー。まさに「都落ち」。ひしひしと感じています。

引っ越し後、ネット環境が整うのが間に合わなくて、それで前回は休載となりました。無念。
今週からはまたこれまでと同様に書いていきますので、秋利君以外の人も楽しみにしていてください。「feedback」も「コメント」もお待ちしています。

さて、今回は前回の続きから。「得意不得意」ってやつね。

前回、「形式」における得意不得意は、目指すところの違いで攻略する優先順位が決まると書いた。簡単に言えば、たとえば「早押し」だけで王者になりたければ、他の形式をやるのではなく先にとにかく押しまくって鍛えろということだ。

こういうの、文字にして読むと「そんなの当たり前じゃん」(神奈川弁)って思えるんだけど、実際にちゃんと考えて行動している人は少ないように思えるじゃん。

多くの人が向き合うのは、だいたいが「勝った」「負けた」の二元論で、その1つ下の層である「なぜ負けたか」を気にすることはあっても、そこを更に掘り下げることに甘さがあるように思える。
つまり、早押しで負けたら「あそこで押し負けたのが敗因だよなー」とか、それ以外の形式だったら「択一はどうも苦手なんだよな」というところまでは考えるけど、その先がないのだ。

ところでこの話も面白くてちょっと脱線するけど、クイズにおいて「あそこで押し負けたのが敗因」というのは、大抵間違っていたりする、ってわかるかな。
たとえば野球の試合で、「1点差で負けている7回の攻撃」における無死満塁の場面で何だかんだで1点も取れなかったとき、「あの7回の拙攻が敗因」とか「あの7回がすべて」みたいによく語られるけど、でもこれって違うって話よ。それ以前に1点差をつけられた場面が直接の敗因じゃん。つまりこの7回のマズい攻めは「敗因」ではなく、「勝機を失った」と表現されるべきなのだ。

これをクイズに戻すと、「あそこで押し負けた」のはあくまでも「敗因」ではなく、「そこで取れてれば勝てたのに」という方向で語られなければいけないものなのだ。
ただしこれは大事な場面でのプレーであることは間違いないところだから、「キモとなる場面で押し勝つ」という訓練が特別に必要になるんだけどね。

このように、「負けない試合」を構築するには、顕在化されているところとはもっと別のところに本当の原因があったりするわけで、そこを正確に見極めて、そしてそれを克服するための訓練を自分に施さなければいけない。

ここの見極めのための分析がちゃんとできるようになると、面白いものが見えてくる。それが自分自身のクセであったり、プレースタイルだったりするのだ。
なぜか1問目は必ず押し負ける、とか、最初の10問はエンジンがかからない、とか、途中30問ぐらい「地蔵」になる、とかね。

スポーツの場合、コーチがいて、自分が見えていない自分を見てくれてよりよい方向へ修正してくれるんだけど、クイズには残念ながらそういった立場の人は普通はいない。もしあなたに「師匠」と呼べる人がいて、その人が懇切丁寧にプレースタイルを指導してくれているならいいけど、だいたいがそういうことはしてくれない。僕でも自分の弟子には勉強法を教えることの方が多くて、実際の勝負のキモはあまりカバーしてあげられなかった記憶がある。

しかしながら、スポーツやクイズでコーチや師匠が伝えてくれるのはあくまでも「助言」であって、最終的に成長する原因を作るのはプレーヤーの方である。
勝負事のあるあるで、それまでまったく勝てなかった人が、ある時を境にコンスタントに勝つ人になったというのがある。これこそその人がインサイドワークで「何か」をつかんだから起こる現象であり、そしてここで掴む「何か」こそが「コツ」である。
そしてやはり勝利を目指す人は全員、本来はその「コツ」を探している状態であるべきなのだ。

ではクイズでいうところのこの「コツ」とは単純な知識量のことなのだろうか。何問以上記憶したらそこからは負けない体になる、というものなのだろうか。
そんなことあるわけがない。ここからも「知識量を増やす」は、あくまでも「楽しむ」という方向のものであって「勝つ」という方向のものではないことがわかる。(ただし最低限の知識は必要で、その最低限の知識量を構築する方法の1つとして以前「1日800問3か月」を紹介した)

ところで、「コツ」の面白いところは、「手に入れるのが難しい」ことではなく、「手放すことができない」ところにある。
わかりやすい例でいえば自転車だ。子供のころ、乗れるようになるまでにちょっとした苦労があるが、一度乗れてしまえば今度は逆に乗れなかったときの下手な乗り方が一切できなくなる。バランスを取ることにやっきになっていたはずなのに、バランスを取れないフラフラな状態を再現することはできなくなってしまう。

クイズでも、一度「コツ」を手に入れたらいい意味で手放すことができなくなる。
「一度聞いただけで記憶する」だけでなく「憶える気がないのに憶えていた」という能力が手に入ったり、「正解をたくさん重ねられる」上に「勝負どころの問題は外さない」というプレーヤーになれたりするのだ。
そしてそれは何年たっても使える武器になる。僕は1989年に現役を勝手に引退しているんだけど、それ以降はこのコツだけでクイズをやってるという感じだ。

スポーツの上達はすべからく、「コツを探す」ことにある。クイズも当然同じで、さまざまなコツを探すこと、それこそが上達への旅なのだ。

最後に、その「コツを探す」過程で不可欠な、たった1つの要素を紹介しておこう。それが「考える」ということだ。
単に考えるのではない。徹底的に考えるのだ。
素振りを1000回すれば打撃のコツが見えてくる、なんてあり得ない。それは素振りのコツがわかるだけだ。実戦へのコツは実戦でしか感じ取れないのだ。
実戦で失敗したときに、それがなぜ起こったかを徹底的に考え、それをもとに仮説の上で行動を重ね、そして失敗し、徹底的に考え、仮説を立てて、行動を重ね・・・ということの繰り返しが正しい前の向き方である。

このとき大事なのは、「考える」には「徹底的」、「行動」には「重ねる」という意識だ。この両方を意識していさえすれば確実に目指している世界に近づけるだろう。
現在クイズを頑張っているけどイマイチ結果が伴っていない人は、このいずれか、もしくは両方が甘いのではないかと思われる。大抵は「考える」ことができていないんだと思うがどうだろう。

あれ、今回は「得意不得意」の話だけど、途中から「コツ」の話になったな。まあこれもいつかは書こうと思っていたことだからまあいいか。

前回の続きはまた今度にします。(いいかげん)

クイズを極めようとしている人はとにかく頭と体と、そして心を使って頑張ってほしい。
僕は心地よく神奈川県で生活できる方法を模索してみます(笑)

ではまた来週の木曜日。