罰ゲームのこと

170302

この前ちょっとだけこのコラムでも触れた「罰ゲーム」について、改めて考えてみた。

この場合の「罰ゲーム」とは『ウルトラクイズ』のクイズとクイズの間に行われるもので、ある程度以上勝ち進んだ人には必ずついて回るアレのことだ。
まあ、お盆休みの日曜日の早朝から野球場で盛り上がるだけ盛り上がって1問目や2問目で間違ってしまった人にとってはクイズに参加したこと自体が罰ゲームとも言えるのだが。
そう考えるとあのクイズは実は参加することイコール罰ゲームだったのではなかろうか。なんだか宇宙の話のようになってきたぞ。(どこがやねん)

ここで改めて確認しておきたいのは、この罰ゲームは敗者のみならず実は優勝者にも行われる、ということ。この罰ゲームは敗者のみならず実は優勝者にも行われる、ということ。大事なことなので2回書いておきますね。ここ、テストに出ます。

さて、『ウルトラクイズ』の罰ゲームには放送の中だけで終わらず、帰国後の普段の生活でも継続されるものがたまにある。
『第13回』でいえばシドニーで負けた名大の伊藤トシノリと立命の山本ジュニアが課された、「一生消えない記憶」というやつだ。
これはスタッフが用意したものなんだけど、なかにはスタッフが想定していないものとして生活の中に継続されてしまう「罰ゲーム」がある。
街中で突然「永田さんですよね」とか声を掛けられるやつがソレだ。この場合は必ず「違います」と言ってその場を立ち去るんだけど、これ、予告なしにやってくるから大変なのよ。こっちは芸能人でもなんでもないんだから顔が売れたところで儲かるって話でもないわけで、単に驚いたり面倒に思ったりするだけのものなのだ。

そしてこれとよく似た系統のものがある。「同じ質問を何度も何度も何度もされる」というものだ。
あ、これ、同じ人からされるのではないからね(笑) そんな人は滅多にいないぞ。
そうではなく、全然違う人から同じ質問をされるのだ。

これも時や場所を問わない。だいたいが知り合ったその日や、話をした初めてのタイミングで聞かれるのである。
ではここで問題。僕がこの20数年間で最も多く投げかけられた質問は何だったでしょう?
何だったでしょう?って聞かれてもわかるわけないよなー。正解は、

「罰ゲームってホントにやるんですか?」

なのだ。たぶんアメリカ本土上陸者はみんなウンウンって頷いているんだろうと思う。それほど突出して多い質問だ。
放送上は僕は唯一罰ゲームを行なってない存在であるはずなのに(実際はちがうぞ!)、その僕に聞いてくるってのは、よくよく考えてみたらすごいことである。
僕でこれなんだったら途中で負けた人への質問はほぼ100%これなんじゃないかなって思ってしまう。

「へー、あのウルトラクイズに出られたんですか。ほう、ネブラスカまで行かれた。それは大したもんだ。ひとつ伺ってよろしいですか、あの罰ゲームって本当にやるんですか?」

こんな会話の流れが起きるのは間違いないだろう(笑)

しかしこう何回も何回も聞かれると(違う人なんだけど)、「罰ゲームって本当にやるんですか?」っていうアンタの質問そのものが罰ゲームだ、と言い返したくなる。
というわけで、これに対抗するものとしてこの質問にも僕には回答のマニュアルがある。この質問には必ずこう答えることにしている。

「やるよ。やるに決まってるじゃん。放送見てたでしょ」

これね、質問してる人は大概、「そんなのホントにやるわけないじゃん。」っていう答を期待している。というか、そう言うんだろうなあと思っている。それが手に取るようにわかる。だから敢えてこう答えるのだ。ちょっとテンションを上げて。
そうすると質問者は一瞬びっくりする。その瞬間の顔が面白い。罰ゲームなんだからこっちもちょっとは楽しまないとね。

実際のところ内容の酷さの程度の差はあっても、「罰ゲーム」と称した何かが少なくともカメラが回っている前では行われているわけだから、「やっている」というのは間違ってはいない。
当然、カメラが回っている間しかやっていないものもあれば、実は放送されていない部分の方がきついんだろうなあ、というのもある。

後者の例では『第13回』でいうと、ロサンゼルスのそれが挙げられる。
あそこでは立命館の可愛い後輩、恒川岳久と成田同室の正木茂が落ちたのだが、罰ゲームは「バスに荷物を積みこむ」だった。
現地に行ったことがある者だったら、この罰ゲームがどんなに大変なことなのかわかる。荷物はまさに「立体パズル」のピースのようになっていて、積み込む順序を間違えると大型バスの荷物スペースに入らないからだ。

たぶん途中で手を貸してもらったんだろうなあとは思うが、もし指示だけもらって最初から最後まで全部やったんだとしたら凄すぎる。
ヘルプがあったとしても自分たちの手で多くのものを積み込んでいったのは間違いのないところ。もうそれだけで「やりたくねー」って思ってしまう。あの元アスリートの正木が半分グロッキー状態だったもんなあ。

しかし彼らの罰ゲームはこれで終わらなかった。そのまま「歩いて空港まで行く」というのがあって、そして最後、空港で「敗者予想をさせられる」となったからである。
まあ「空港まで歩いて行った」ってのはいくら何でもナイ話だとは思うけど、でもある程度は歩かされたんだろうなとは思う。(それだけでも十分ヤバい)

肝心なのは空港での出来事だ。
通常は1人しか落ちないところを2人落ちていて、しかもカメラクルーに小倉淳さんが混じっていたらひょっとしたら「敗者復活」か?と思う心に無理はない。たぶん彼らはマジでそう思ったに違いない。そこへさして「敗者予想―!ぱふぱふー!」である。
この瞬間の落胆による疲労感は最初のバスの荷物積み込みの疲れとは比べ物にならなかっただろう。これも十分「罰ゲーム」である。

『第13回』以外の回の挑戦者に聞いたところでも、実際に罰ゲームは人それぞれなれど十分キツいものだったそうだ。ただその多くが精神的なキツさが主で、体力的に参ってしまうものはあまりなかったようである。
僕はそのフィジカル的に一線を越えないようにしていた、そのラインを守っていた、ということこそがあのクイズの人気の理由の1つなのだったのではないかと考えている。
本気でキツそうとかツラそうという絵を見せられたら、やっぱりどこかで殺伐とするからね。そしてスタッフだって人間だから、ひょっとしたら酷さがエスカレートして行ってその結果重大事故が起こっていたかもしれないし。(酷さが無意識のうちにエスカレートしてしまうのは心理学の実験でも確認されている)
「罰ゲームはお遊び」という線で収めていたのがとても素敵なのだ。そう思うと「敗者が主役」というフレーズも悪くない。

でもちょっと待て。くどいようだが罰ゲームは優勝者も行うのだ。じゃあ何か、優勝者は主役にもなれず罰ゲームだけを行う存在ということか。なんだか生命の神秘の話のようになってきたぞ。(どこがやねん)

生活の中に入って来る罰ゲームは僕の場合は実際に今も続いている。
帰国して何年何十年も経ってるのに、

「罰ゲームってホントにやるんですか?」とか
「冷凍されるんですか?」とか
「福留さんってどんな人ですか?」とか
「今でもみなさんで会うんですか?」とか
「太りましたね」とか

延々と何回も聞かれて延々と何回も答えている。終わりはたぶんないのだろう。賽の河原かここは。

実はこれまで僕に対する質問で数が最も多かった5つが、今書いたものだったりする。もう今後いちいち答えるのは面倒なのでここでまとめて答えておこう。

「やるよ!」
「されるよ!」
「いい人だよ!」
「たまに会うよ! 永田さんなんかしょっちゅうだよ。」
「悪かったな!」

これを読んだ人はもう絶対に質問しないように。かといって6つ目の質問を作り出さないように。たのんます。

ではまた来週の木曜日。